日本教 節分に恵方巻を食わないと非国民として鬼に折檻を受けるのか、というわけのわからん問題 | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

正月に神社仏閣に初詣に行かない、を食わない、七草がゆを食わない、さらには節分恵方巻を食わない、なんて言いますと、

 

 

 

非国民め!

 

 

 

 

 

なーんて風潮、いっそ暗黙の強制が嫌です。

 

 

今日なんかですと、コンビニやスーパーなどに買いものに行きますと恵方巻が山のように陳列してあり、これを買わずにレジに行くと店員に、

 

 

 

 

お客さん。恵方巻を買わないんですか?非国民のレッテルを張られますよ

 

 

なーんて非難のまなざしを感じるのは、あっしだけなんでしょうか?

 

非国民なんて呼ばれるぐらいならともかく、かつてのソ連の社会のごとく、密告推奨制度(?)によって治安当局に密告され、強制収容所送りになる、とか。

 

 

日本社会というのは、なんでも「右に倣え」で、とにかく他人と同じことをしなくてはいけない規範があるように思います。

 

国民性なんでしょうか?

 

 

暮れの、大晦日の年越しそばもねえ。

 

これを食わないと年を越せない、なんてムードがあります。

 

 

じゃあ、おまい、クリスマス・ケーキはどーなんだ?これを食わないと、やはり非国民になるのか?

 

毛唐の邪教にかぶれやがって、日本人として恥ずかしくないのか?

 

 

 

そこんとこはどーなんだ!

 

 

 

と。

 

本来、年中行事(季節行事)というのは、我々日本人が長い歴史の中で培ってきた生活の知恵であったはずです。そこに込められた思いや願いを理解することもなく、ただ、「みんながそうしているから」と付和雷同的に流されてゆく、もっと言えば、それにかこつけて様々な商品を売らんとする商人の思惑に乗せられてしまっているように思います。

 

 

して、まずは「節分」なるものを押さえておきましょう。共通一次の試験に出る・・・、かどうかはわかりませんが、知っておいて損はないはずです。その一般教養、蘊蓄(うんちく ー たいして役にも立たない知識)をもってして、周囲の人間に対し知ったかぶりができるはずです。

 

 

どうだ、この知識の豊富さは。皆の衆、恐れ入ったか

 

 

 

なーんてねえ。

 

 

むろん、周囲は「また、あのクソねずみ男が、役にも立たねー、くだらねー雑学知識を自慢してるぞ。おーい、撤収するぞ。いっそ帰るか」なんてことになっているはずですが。

 

 

なんせB型(※ 血液型)ですから、周囲の空気なんか最初っから読む気もなく、そのまま続けます。

 

 

 

さてさて、「節分」は何も2月だけのものではありません。

 

立春、立夏、立秋、立冬と、季節の改まる前日のことを言いました。今では2月の立春だけをさすようになっていますねえ。

言わずもがなですが、明日からは暦の上では「春」ということになります。

 

 

まだ雪も降ったり、クソ寒いのになーにが春だ、ということにもなるのですが、そもそも、このような季節行事は旧暦に合わせたものですから、約一ヶ月ぐらいの時差(?)があります。旧暦で2月3日は、現在では3月12日に当たり、まあ、このあたりですと春の気配も漂っているはずですから実感がわくはずです。

 

 

 

次に豆まきですが、これは日本古来のものではなく、そのルーツは中国にあります。

 

 

 

 

 

 

よく、中国の方が「日本文化の大半のルーツは中国にある。ラーメンだって、もともとは中国の食べ物だったのだ」なんてことを言いますが、これはある程度は事実でしょう。しかし、日本はその元となった文化をそのまま受け入れたのではなく、日本の風土、風習に合わせて巧みに作り変えております。

 

ラーメンについて言えば、確かにこういった麵料理は中国から入ってきたものですが「藍は藍より出て、藍よりも青し」ではないですが、独自の進化を遂げたものというべきでしょう。

 

 

さて中国では疫病は疫鬼なるものによってもたらされると考えられておりまして、これを追い払う「大儺(たいな)」という祭りが行われていたとされます。これが日本では「追儺(ついな)」(他にも「鬼遺(や)らい」とも)名称が変わり、大晦日における宮中の行事として行われるようになりました。

 

 

そもそもこういった行事は、日本における最高位にあった神官ともいえる天皇が中心になって行っていたのであります。

 

この行事が室町時代中期以降に一般民衆にも広まり、江戸時代に入って、今日のような「豆まき」の行事として、大晦日ではなく立春前日の節分の行事になったのだとか。

 

 

よく、季節の変わり目に風邪をひくことが多い、なんて言いますが、寒暖差に体調を崩すこともあるのでしょう。して、これを邪鬼として捉え、これを追い払うという意味があったとされます。

 

そして、鬼の嫌いなものとして匂いのきついもの、尖ったものがあるだろうとし、焼くときにキツイ匂いの出る鰯(イワシ)や、トゲのある柊(ひいらぎ)の枝を魔除けとして玄関先に飾る風習が生まれたとされます。

 

 

 

 

 

鰯の頭も信心から」なんてことを言いますが、普段は見向きもされないような鰯の頭だって、この日はりっぱな儀礼の聖具(!)となるのであります。

 

 

あえて言えば、吸血鬼ドラキュラに対する十字架のようなものでしょうねえ。

 

匂いもキツイともなれば、これまたドラキュラが嫌いなニンニクに匹敵するのかもしれない。

 

 

 

まあ、中にはグルメ志向の(?)鬼がいて、

 

 

 

ネコじゃあるまいし、鰯の頭なんか食えるか

せめて、おまい、鮪(マグロ)なんかを。できれば中トロが・・・

 

 

 

なーんてねえ。

 

 

別に、食わせるためにやっているわけではないんですけどねえ。