1964年、日本で初めてのオリンピックが東京で開催されました。このオリンピックにて、それまで全く無名ともいうべき日本の女子バレーボール・チームが金メダルを獲得し、世界を驚嘆させました。
この模様を放映していたアメリカのTV局のコメンテーターが「オリエンタル・ウィッチ(直訳すると「東洋の魔女」)」と連発し、これが一般に広まったとされます。
当時の日本人は、日本の女子チームの驚異的な強さをしての称賛の言葉だと受け取ったようですが西洋人にとって「ウィッチ(魔女)」というのは、「超自然的な力を操る妖術師(※ 男女とも)」という意味であり、そこには、そういう力に対する畏怖、いっそ怯え、恐怖というものがあり、まあ、あまり良い意味で使われるものではなかったとされます。
当時というか、今もそういう傾向があるのかもしれませんが西洋人(西洋社会)にとって、日本を含むアジア人(社会)などというのは、自分達からすれば文化的、技術的に、さらに言えばスポーツの世界でも、劣った人々というイメージがあったように思いますから、「なんだ、なんだー?すんげーアジアの女性たちが出てきたぞ!」というものだったのか。
さすがに「悪魔に魂を売ったのでは?」なんてことは言われなかったと思いますが。
さて、我々日本人にとっての「魔女」といいますと、西洋の昔話、童話などに登場する魔女(※ 魔法使いのおばあさん、なんてのもあります)でしょう。(『魔法使いサリ―』や『魔女の宅急便』なんてのもあります)
『白雪姫と七人の小人』、『ヘンゼルとグレーテル』などには、そんな魔女が登場してますが、これは怖い魔女です。
これに対し『シンデレラ』には、シンデレラを助けてくれるような魔女(魔法使いのお婆さん?)が登場します。
そもそも魔女(魔法使い)が使うとされる魔術には、災いをもたらす「黒魔術」、幸いをもたらす「白魔術」の二つがあるとされ、『シンデレラ』に登場する魔女は、この白魔術を使ったと考えられます。
宗教学的には「呪術」なんて言いますが、これは使い方次第で悪にもなるし、善にもなるとされますから、魔術も使い方次第ということになると思います。
一般的には、魔術には占星術、錬金術、神秘的な病気治しも含み、新約聖書(福音書)には、イエスが、この超神秘的な病気治しを行ったとあります。
この方、時には手を抜いて(?)唾を付けて治そうとしていたみたいですが・・・。
なお、「妖術」というものもありまして、これは悪魔と盟約を結び、人を陥れるという怖いものです。
悪魔と盟約を結んだのか否かはともかく、妖しい魅力(いっそ、術?)で、男に取り入って来る、言い換えれば「誑(たぶらか)す」、字義的に言えば「言葉で狂わせる」ような女性もいますからねえ。
ここで、いわゆる「美魔女」という方が思い浮かびますが、そして、その一般的な意味は「年齢を感じさせない若さを保っている大人の女性」ということだそうですが、むしろ、男女の間の心の裏表を知り尽くしたような経験豊かな女性が、その己の女性としての魅力を駆使して、男をいいように操る、とか。
歴史の陰や犯罪の陰に「女があり」なんてこともいわれますしねえ。
カラヴァッジョ 『ホルフェルネスの首を斬るユディト』
イタリアはローマの美術館に行って、こんなショッキングな絵を見たら、我々日本人なら腰を抜かすかもしれませんが、これは旧約聖書の外典(※ 正典には入らなかったもの)の『ユディト記』にある話を題材にしたもので、古代ユダヤの女傑ユディトが、言葉巧みに敵の将軍に酒を飲ませ、「後で、あたしの寝室に来ない?」なんて誘い、文字通り寝首を掻いたとされます。
まあねえ・・・。
魅力的な(※ そうではない方も)女性の甘い言葉に、つい、鼻の下を伸ばしているとロクなことにならん、という男性向けの教訓と言えなくもないですが。
ねえ、ねずみ男さーん
女子トイレの便器が詰まっちゃって・・・
だからなんだよ。修理屋を呼べばいいだろうが
あっしに、何をさせたいんだよ
(あっしは水道屋でも便利屋でもねーぞ。だいたい、いつもなら『こんな領収書、経費で落とせません!」なんて鬼女みてーな声で脅かしてくるのに、その、取って付けたよーな猫撫で声はどこから出てくるんだよ)
さて、最古の魔女とされているのは、旧約聖書は『創世記』に登場するイブとは別に、アダムの最初の奥さん(!?)であったとされる「リリト」であります。
我々は、この『創世記』という、それこそ正典となっているものの話しか知りませんが、実際はいろんな話があったとされます。
この『創世記』を読んだことのある方ならその第一章と第二章の記述の矛盾に気が付くはずで、第一章では神は男女を同時に造ったとあるのに、第二章ではイブはアダムの肋骨から造られたことになっております。
実を言うと、そもそもこのような話(※「創世神話」といいます)は二つの異なった伝承を元にしたものとされ、正典化するにあたって、その両方を統合しなかったためだとされます。
おかしいじゃないか、そこをどーするんだ。責任者出て来い!
なんて論議がされまして、いろんな解釈(※ というよりもこじ付け)が出たようです。
その中に、「神は最初はアダムとリリトを造ったのだが、このリリトがとんでもねーあばずれ女で、アダムを置いて逃げちまったんだよ」なんてものがあります。
で、この、リリトが、その時に、あろうことか神を冒涜するようなことを言ったとされ、さらには悪魔のもとに行ってしまった(※ その奥さんになった、とも)のだとか。
さて、キリスト教というのは、当時あった様々な異教の神々をことごとく「悪魔」にしてしまってますが、このリリトも、元々はバビロニア、さらにはメソポタミアの古代シュメールの地母神であったのではないかとされます。
後の魔女とされる存在も、みなこのリリトの末裔ということになるでしょう。
魔女、というわけではないんですが、アダムの後妻(?)のイブも、実はキリスト教であまり良く言われておりません。
禁断の木の実を食い、あろうことかそれをアダムにまで食べさせ共犯(!?)にしてしまった、というのであります。
まあ、アダムが断らなかったということからして、さらに、イブの行為を見て見ぬふりをしていた(?)ということからして、イブだけを責めるのはおかしな気もしますが、キリスト教はあくまでイブを悪者としております。
そのイブの子孫である女性一般もまた(男性よりも!)罪深いのだ、なんてことを説いていた聖職者も少なくなかった、とされます。
で、「女性はみな聖母マリア様のようになりなさい」なんて言っていたようです。
しかし、一般女性が「処女懐胎」なんて器用な(!)ことはできないわけで、まして『創世記』で説かれているような「産めよ、増えよ、地に満ちよ」なんてノルマ(!)を達成できませんからねえ。