デパートは消えゆく業態か 寂しいですが、もはや、人々のニーズに応えるようなものではないのか  | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

今月、島根県は松江市に本拠を置いていた一畑百貨店が閉店しました。それまでも、こと地方におけるデパート(百貨店)が次々に閉店しております。

 

 

 

 

地方の独立デパートだけではなく、三越、高島屋、西武といった大手デパートも例外ではなく、全体としては衰退傾向にあるといっていいでしょう。

 

その要因としては幾つもあると思いますが、やはり時代の流れにあって、もはや顧客のニーズに応えられなくなってきているというべきなのか。

 

なお、余談ですが、嘘か本当は知りませんが、かつて隣り合ったライバル店に火を付けたら(放火)、一生面倒見てもらえるという怪しげな噂がこの業界に流れたことがあったのだとか。

 

しかし、今やデパートも経営統合で、三越・伊勢丹・丸井大丸・松坂屋そごう・西武なんて「昨日の敵は今日の友」なんてことになってますからねえ。

 

 

 

さて、1960年代以降に始まる急速なモータリゼーション、つまり車社会化が日本全国に普及し、交通至便の良い大都会は別としても、地方にあってはもはや車なしでは生活が成り立たない、なんてこともいわれております。

 

それまでは、店舗の立地条件としては鉄道駅の周辺こそが一等地とされ、デパートなどもそこに作られることが多かったわけですが、このモータリゼーションが進む中にあって、そういった街の中心部においては、渋滞が発生し、駐車スペースが完全に不足もし、そこにあるデパートに行くというのにも支障が出るようになってゆきます。

 

 

一方、小売業界にあっても郊外型の大型スーパー、専門店、ディスカウントショップという業態が増えてゆきます。その基本戦略は、まず、地価も安いために容易にできる広大な駐車場の確保であり、また、こういった店が集まった大型ショッピングセンター(※ ショッピングモール)ができますと、それこそ、かつてはデパートのメリットの一つとされた「ワンストア・ショッピング」も可能となります。

 

 

こと、最近では洗練され、機能化されたショッピングモールともなりますと、映画館やゲームセンター、スポーツジム、公園、遊園施設を付随させているところもあり、それこそ休日には家族揃って、そこに行けば、単に買い物だけではなく一日ゆっくりできるなんていう、いっそ巨大レクリエーション施設にもなっているように思います。

 

かつて、都心部ですと暇を持て余した高齢者がデパートの催事場巡りをする、なんてことがあったとされますが、基本的にデパートは限られたスペースを有効活用しようとしておりますから、空間に余裕がなく、いっそ「買い物が済んだらとっとと帰れ」というスタンスであったように思います。

 

今では、こういうショッピングセンター(モール)こそが、こういった方々の楽しみ(※暇つぶし?)の場所になっているようにも思われます。

 

 

 

 

あっしも、時折、こういったところに行きますと、ジジババが数人、広場のソファーなんかに腰を下ろし所在なげに新聞や雑誌を読んだり、雑談しているような光景を目にします。夏なら冷房、冬なら暖房が効いていますから少ない年金収入でやりくりしている方々からすれば経費の節減にもなるでしょう。時々行われるイベントに顔を出したってもいい。

 

もちろん、そこにあるフードコートやレストラン街で食事をしてもいいんですが、それでは金がかかるともなれば、いっそ弁当持参したっていい?

 

 

店側としても、文字通り「枯れ木も山の賑わい」ではないですが、人の数が多ければ多いほど活気あるように見えるでしょうから歓迎しているのかもしれない。(※ 多少なりとも金を落としてくれるはずですし)

 

 

実は、スケール的には遥かに小さいとしても、かつてのデパートはこのようなことも目指していたように思います。

 

それが時おり行われた、例えば食品なら物産展、あるいは衣料品バーゲン文化催事などがそうでしょう。

 

 

よく行われるのが、その地方の名産品を集めて行うもので、例えば九州物産展、北海道物産展なんてのがあります。そこにゆけば、現地に行かなくともその名産品が手に入るともなれば客も集まる、というわけです。できることなら、来たついで別のものも買ってくれればありがたい、と。

 

 

以下、デパートにいたことがある知人から聞いた話に基づいたものです。

 

 

例えばの話、北海道物産展なんていっても、北海道からわざわざ業者が来るわけでもなく、ただ北海道の取引先から商品を仕入れて販売することも少なくなかったのだとか。考えてみれば、現在の流通システムであれば、北海道産の食品なんて簡単に手に入りますからねえ。

 

トラピスト修道院バター飴とか、北海道銘菓「白い恋人」なんてのはともかく、このさい北海道産のものなら何でもいいと、近くの市場で仕入れてきた北海道産ジャガイモとか、北海道産甘塩鮭なんてのも並べられていたのだとか。

 

 

京都物産展なんてものだと、販売業者が京都弁を使うというんですが、京都弁というよりも怪しげな関西弁で、まして住んでいるのは関東で、この方、全国のデパートを廻っている方であったとか。(※ こういう業者も多いのだそうです)

 

 

食品ついでに言いますと、「デパ地下」なんて言いますが、繁盛しているのは都会の、それも電鉄系デパートのように、そこから少し行けば駅にゆけるなり、あるいは大きな駅の地下コンコース(構内)と繋がっているようなところならまだしも、それこそ地階で、そこだけで営業しているような場合、よほど魅力的な品揃えでもない限り、わざわざ買いに降りて来るという客も少なく、このため、一階のエスカレーター前で、神主を呼んで千客万来祈願(!?)なんてことをやったことがあるのだとか。

 

 

企業にあって、「そこの社長が神頼みをするようになったら、その企業は危ない」なんて聞いたことがありますが、斜陽化していったデパートを象徴するような話です。

 

 

実は、あっしのいた銀行の支店でも、その年始にはみなで社員食堂にあった神棚に祈りを捧げてましたけどねえ。

 

 

むろん、あっしは、

 

 

だいじょうぶか、この銀行。経営破綻するんじゃねーだろーなー

 

 

 

って、心の中では思ってました。

 

 

 

さてさて、デパートと言えば、なによりも包装紙でしょう。

 

 

 

皆のもの、頭(ず)が高い! 三越様の包装紙であるぞ

 

 

 

この包装紙で包んでしまえば、そこら辺のスーパー、ディスカウントショップで、例えば定価の10%OFFで購入したサラダ油セットなんてものも、箔が付いて高級そうに見えますから不思議です。

 

 

なんでも、デパートの店員は、この包装が出来て一人前なのだとか。

 

 

プロともなりますと、例えば丸い缶詰も巧みに包んでしまえるのだとか。

 

 

 

 

だったら、おまい、サッカーボールを包んでもらおうか

 

 

 

なーんて意地悪なことも言いたくもなります。

 

 

なお、この包装は一般の祝い事(慶事)仏事は異なるのだそうで、熨斗(のし)紙は当然のことながら、包装する紙、そして包装の仕方もことなるのだとか。

 

また仏事の場合の熨斗に「御霊前」と「御仏前」があり、一般的には四十九日までは「御霊前」で、以降は「御仏前」を用いるとされますが、これはあくまで仏式のことだとか。まして宗派により微妙に違い、いっそ「御霊前」でもいいのだとも。(※ 地域によってもいろいろ違うようです)

 

 

 

 

 

 

んで、たまに、この熨斗紙や包装紙を間違ってクレームになることもあるそうです。

 

 

また、慶事は早くからわかるものですが、仏事、それも葬儀ともなりますと急なものです。して、大きな葬儀ともなりますとその返礼用にと大量の注文が舞い込むんだそうで、それは、デパートとしては売り上げになりますからありがたいことなんですが・・・。

 

 

この菓子の詰合せ100個もって、そんなに在庫は置いてありません

そういうことは、前もって早めに言っておいてもらわないと困ります

 

 

そりゃまあ、そうでしょうし、その気持ちをわかるんですが。

亡くなりそうな方に「お前、いつ死ぬんだ?」なんてことは聞けませんからねえ。

 

 

さらに、これはまた別の売り場(※寝具)の担当の方だそうですが、その月の売り上げ目標に手が届かず苦しんでいた時に、葬儀のお返しの注文が大量に入ったとして、その客に、

 

 

 

ありがとうございました。本当に、ありがとうございました

 

(これで、なんとか目標クリアだ!)

 

 

これまた、その気持ちは十分にわかるんですが・・・。

 

慶事の時なら、まあ、それでもいいんでしょうが、普通、こういう場合は「御愁傷さまです」だろう。

 

 

他人の不幸を喜んではいけません。