たまたま日本の東京在住の外国人二人が初詣で浅草は浅草寺と浅草神社(※ 浅草寺の境内にある。三社祭で有名。元々は、浅草寺の本尊である聖観音菩薩像を海から拾い上げた人たちを祭神として祀った)に行きまして、「神社は二礼二柏手一礼だって聞いたけど、お寺はどうすればいいの?」なんて話している動画を見て笑いました。
浅草寺
浅草神社
考えてみれば初詣や、お参りといえば神社が一般的のように思いますが、東京近郊なら多くの初詣者が行く成田山新勝寺や川崎大師(平間寺)は真言宗の仏教寺院です。
もともと仏教、というか仏は蕃神(ばんしん、隣の国の神)といいまして、それこそ異国の強力な神として捉えられていたとされます。この異国の神を導入するか否かで蘇我氏と物部氏が争ったなんて日本史の教科書にあったはずですが、結局は受け入れております。
当時の為政者であった朝廷からしますと、それに付随した高度な文化が魅力的であったからのようです。
このように異国の宗教が入ってきた場合、これがキリスト教なんかですと、その地にあった土俗の宗教なんかは徹底的に排除してしまいます。なんせキリスト教は一神教で、唯一の神(ヤハウェ・エホバ)しか認めていないからです。
ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカ、そしてアジアと、布教としてやってきた宣教師たちはそこにあった、それはそれでその地の人々の心の支えであった宗教を、ことごとく未開の低級なものとして否定してきました。
ついでながら、日本でも同じような布教方法がなされましたが、神は神でも八百万の神+仏連合軍の前に、あっけなく敗退(?)しております。(※ 日本におけるキリスト教徒は、総人口のたったの1%)
そうですか、遠くからいらっしゃったんですねえ
まあ、仲良くやりましょう
と、日本の八百万の神様たちは、仏に対しては寛容というか、太っ腹でした。
なんたって、仏は日本古来の神々を否定するということはありませんでしたから。
なおかつ、同じ「神(?)」ということで、融合というか、専門的には「習合」なんていいますが、日本の神様は仏が仮にそのような姿で現れたもの、なんて本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)なんてもので説明され、場所によっては神社のご神体が仏像だったり、坊さんが神社でお経をあげたりする、なんてこともあったらしいです。
これが明治になると、いきなり「日本は神の国」なんて、イエスが聞いたら「うそ!?」なんて言いそうな国になり、神仏分離政策なんてものがとられ、日本人の宗教は神道です、なんてことになってしまいます。
しかし、仏教は特に民衆の中にあっては葬儀に深く関わってきておりまして、いきなりこれを、「これからは葬儀も神式(神葬祭)で」なんて言ってもねえ。
さらに戦後になりますと、再び「神でも仏でも、まあ、どっちでもいいんじゃないですか。ご利益さえあれば」なんて考え方が主流になって現在に至ってます。
キリスト教信者(※ 形式上であれ)の欧米人からしますと、この点は日本人(日本文化)の不思議なところに思われるようですが、そもそも広く世界を見渡せば、歴史的には多神教の方が主流でした。ギリシアやローマ、インドや日本だってそうでした。
中国人なんかだと、そこは完全に割り切っていて、「いろんな神様に祈っていれば、そのうちの誰かがそれを聞いてくれるはず」なんて考えているのだとか。
確かに「捨てる神あれば、拾う神あり」なんて言いますしねえ。
たった一人の神様だったら、その神様に捨てられたらもうお終いです。
さてさて、初詣です。
元々は、その家の家長にあたる方が、元旦に氏神を祀る神社に詣でたことをいったようです。
江戸時代までですと、その他にも、その年の恵方にあたる社寺に詣でたとされます。恵方というのは、陰陽道の神様である歳徳神が、その年に住むとされる方角であります。
となれば、その年の恵方にある社寺だったらどこでもよかったのであります。
して、現生利益を願うとしますと、これは天台宗や真言宗、そして日蓮宗でして、浄土宗、浄土真宗、曹洞宗(※ 禅宗)は、どっちかつーと葬式仏教でして、こういう寺院しかなかったら・・・、
おい、今年の恵方には浄土宗のお寺しかないぞ
仕方がない。今年は現生利益はあきらめて、極楽往生できることを願おう
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
このたびはどうも・・・、御愁傷さまです
なんてことになってしまって、いたかもしれないです。
これが現代ともなりますと、どー考えても、調べても恵方にはキリスト教会しかない、なんてことになれば、
えーい、バテレンとはいえ、神様は神様なんだろ
確か、「信じる者は救われる」なんて言ってたしなー
なーんて、キリスト教会の前に皆がお賽銭を投げて祈願していたりもする。
驚くのは、キリスト教会の方で「なんだ、なんだー?いつから、こんなに信者が増えたんだ」なんてこともねえ。
然るに、この初詣ですが、現在のような形として定着したのは明治時代中期以降のことだとされ、決して歴史あるものでも、日本古来からの伝統的風習(信仰)ということでもないようです。
笑えるのは、どうもこのような風習を作ったのは、東京に例を取るなら鉄道会社(私鉄)であったのだとか。
まず、現在でいう京浜急行が、川崎大師近くと東京都内に駅を作り、これを鉄道で結び、同じく京成電鉄が成田山と東京都内に駅を作り、これを結んだとされます。
実は、日本各地に、こういった有名な神社仏閣に参詣する人々を当て込んで鉄道が敷かれたという話がよくあります。
地方ですと、その多くが採算も取れず廃止に追い込まれてしまったようですが、さすがに東京近郊ともなれば多くの通勤や通学客も見込めたわけですねえ。
また、鉄道会社は、恵方は毎年方角が変わるも、これを「とにかく、お正月は当社の鉄道を使ってもらって」と「初詣」なる参拝を盛んに宣伝したがゆえに、これが次第に定着し始め大正末期頃には、日本全国にこのような有名な神社仏閣に初詣に行くことが広まったとされます。
京浜急行 大師線
つまるところ、初詣の風習というのはこれらの鉄道会社の陰謀(!)であったのか。
ついでながら東京で言えば、西武鉄道なら秩父神社、東武鉄道なら日光東照宮がありますけどねえ。
こちらは、特にそれほど力を入れてはいなかった?
なお、少し古いデータですが(2019年)、日本全国の初詣者が多い社寺を順から言いますと、
1位 明治神宮(東京)
2位 成田山(千葉)
3位 川崎大師(神奈川)
4位 浅草寺(東京)
5位 伏見稲荷(京都)
6位 鶴岡八幡宮(神奈川)
7位 住吉大社(大阪)
8位 熱田神宮(愛知)
9位 氷川神社(埼玉)
10位 大宰府天満宮(福岡)
神社が7に対し寺院は3です。
トップの明治神宮といえば、明治天皇・皇后が祀られておりますが、東京に住んでいる方々にとっては、それこそ氏神になるのかもしれませんねえ。かつて、「日本国民は全て天皇陛下の赤子」なんて言われていたようですし。
もっとも、『古事記』などの神話にあっては、一般民衆はそれこそ苔や雑草の如く、自然発生したなんてされてますけどねえ。
そんな苔や雑草のごとき下々の人間が畏れ多くも天皇陛下に、例えば家内安全、無病息災なんてことを祈願するのはどうか、と。
まして、
今年こそ、すてきな彼氏に出逢いますように
なーんて、若けーねーちゃんの祈願なんてのはねえ。「朕は男女の出会い業者ではない」なんて怒られそうな気もしますが。
んで、えてして、こーいうねーちゃんに限って、この明治神宮の祭神が誰だか知らなかったりもします。
いいのよ、誰だって、何だって
願いさえ叶えてくれれば
そりゃ、まあ、そうなんでしょうけど・・・。
あえて言わせてもらえば、やっぱり非国民でしょう。