あやしいキリスト教 53 矢内原忠雄『キリスト教入門』を読む 教会不要という無教会主義ですか | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

まずはミッション系大学のご紹介です。

 

 

京都における同志社大学です。プロテスタントであった新島襄によって開校されました。

 

 

 

同志社大学チャペル

 

 

 

名前がまたいいですねえ。

 

キリスト教(プロテスタント・会衆派)を志す人々の学校という気がします。

 

 

んで、学生や先生達が、お互いに「同志~」なんて呼びあっていたりするとか。

 

って、旧ソ連の政治局内部じゃあるまいし。

 

 

 

言うまでも、こんな所ではあっしは部外者ならまだしも、へたをすりゃ「異端」にして、同志スターリンならぬ、同志新島襄守護霊(?)なんかに粛清されかねないでしょうねえ。

 

 

 

さて、教会と言えば、その頂点を極めるというなら、やはりローマはヴァチカンにありますサン・ピエトロ大聖堂でしょう。

 

 

 

 

 

 

 

あっしも、訪れたことがありますが、その内部はもう、静謐にして荘厳なもので、非クリスチャンのあっしですら、思わず土下座してしまいそうな雰囲気があります。

 

もっとも、あっしの場合、奈良は東大寺の大仏の前でも土下座してしまうかもしれません。(権威に弱い)

 

 

 

イエスの弟子であったペテロは、イエスから天国の鍵を預かったとされ、彼は初代教皇ということになっております。

 

その鍵が、現在もここにあるということなので、この大聖堂の中に天国に至る階段が伸びているのでしょう。

 

 

 

今ならエレベーターがあるかも・・・。

 

 

んで、あっしのようなのが、喜んで乗り込んだら、

 

 

 

あの、えっと・・、す、すいません

B1ってボタンしかないんですけど

 

 

 

嫌な予感がします。

 

 

して、この教会なるものですが、ギリシア語では「エクレシア」といい、ユダヤ教徒の「シナゴーク(会堂)」と区別するために用いられたとされます。

 

そのもっとも初期のものは、イエスの直弟子たちが、個人の家に集まって祈りを捧げたりするものであったようです。これを「原始エルサレム教会」といいます。

 

単独の専用施設が作られるようになったのはローマの国教になってからのことかもしれないです。

 

施設が作られ、さらには組織化が為され、専従者も登場します。

 

 

この教会がローマ帝国が東西に分裂したがゆえに、同じく東方教会(正教)西方教会(カトリック)に分かれます。

さらに西方教会のカトリックの中から、宗教改革によりプロテスタントが分かれます。16世紀のことです。

 

 

当初、カトリックはこのプロテスタントを「異端」としていたようです。プロテスタントではないんですが、別の理由でイギリス国教会(聖公会)も独立しております。

 

また、プロテスタントにおきましてはルター(ルーテル)派、改革・長老派、会衆(組合)派、バプテスト(洗礼)派以下、もう多くの宗派が分離独立したリ、中には合体したりともうわけがわかりません。

 

 

さらに、厳密にはキリスト教というよりも、キリスト教系新興宗教というジャンルに入れられるというモルモン教エホバの証人などという団体もあります。

 

 

ちなみに、このプロテスタントですが「抗議する」という意味で、従来のキリスト教を批判したルターやカルヴァンらが独自の聖書解釈を行い独立したもの(新教)を言い、その従来のものがカトリック(旧教)というものとなります。然るにこの「カトリック」という言葉は「普遍的」という意味のもので、ゆえに「カトリック教会」とは、「普遍的な唯一絶対のキリスト教会」ということを示すものなのです。

 

 

まあ、つまるところ、イエスの直弟子たちが始めた原始エルサレム教会がその土台になっているわけです。

 

しかし、東西に分かれてからもそうですが、その教義や儀礼内容は少しづつ異なってきておりますし、カトリックの主流派は少しでもその考え方の異なる立場を片っ端から「異端」として排除してきましたから、あえて言えば独自の教義を発展させてきたとも言えます。

 

三位一体論(父と子であるイエスと聖霊は本質的には同一とする考え)、マリアは神の子の母であるということ(聖母)、原罪についての考え方、教会の絶対性など、様々な神学論争が為され公会議(キリスト教会最大の合同会議)で決められ現在に至っております。

 

 

このような教義は、カトリックにあっては絶対的なものとされましたが、それはそれとしても、例えば十字軍派遣や教会施設を作るために売り出された免罪符、さらには聖人信仰など、その説くものがキリスト教本来の教義からずれ、いっそ俗化してしまったという非難を行ったのがルター達であったのであります。

 

 

ちなみに、この宗教改革ですが、為政者の圧政に苦しんでいた農民達の抗議運動にも結び付き、大きなうねりとなるも、次第に彼らの運動が暴徒化してきたことから、当初は手を携えていたルターも、最後は逆にこの農民たちの運動を非難するなどしております。

 

実際のところ、このような農民運動があったからこそ、この宗教改革も成功したのだとも言われるのですが。

 

 

 

まあ、ルターにしろ、カルヴァンにしろ、既存のキリスト教の教義、その方向性に異を唱え批判したわけですが、これは遡ってユダヤ教徒でありながら、ユダヤ教を辛辣に批判していたイエスにも重なります。

 

 

思うに、三位一体論にしろ、聖母マリアは神の母だという主張にせよ、現代の我々からすればツッコミどころが満載なのですが、もちろんそんな批判を許されません。批判なんかしたら破門されるでしょうし、異端扱いにされるはずです。

 

 

 

しかしですねえ。

 

イエスの言行を記したとされる福音書からして、それぞれの福音書記者達の立場、主張は微妙に異なっているようでして、例えばイエスの言ったことについてもマタイ書マルコ書ではその意味が異なっていたりもします。

 

 

当たり前といえば当たり前なんでしょうが、イエスその人が言ったことをどう解釈するかは個々人によって異なったわけで、さらに言えばパウロに至っては「イエスは我々のために贖罪してくれたのだ」なんていっそ勝手な(!)独自解釈を行っております。

 

 

そんな様々な解釈の中から、その時々のキリスト教主流派が「唯一正しい」とした解釈がカトリックならカトリックの教義となっていたわけです。

 

そして、そもそも活版印刷技術が発明される前は紙は貴重品で、聖書は全て手書きで写すほかなかったわけで、そんな聖書はそれこそ教会の独占物だったのですが、おりしもこの宗教改革の時代、ルターはこの聖書を印刷して大量に売り出します。

 

それまで、目にしたことなどなかった一般人からすれば、これは聖書を直接目にする最初の機会であったということになります。

 

 

そうして、一般人が直接聖書を読めば、従来、カトリック教会が説いてきたことに異論を唱える人だって出てくる。つまるところ、いくらキリスト教初期教会以降の正当なる後継者だとカトリック教会が主張しようとも、その主張はあくまで一つの解釈に過ぎない、ということにだってなるはずです。

 

例えばの話、三位一体論なんて聖書のどこにも書いてないじゃないか、と。

 

 

まして、カトリック教会は様々な儀礼(その中心は「洗礼」や「告解」という秘蹟と呼ばれるもの)を作り出し、これを独占してきましたが、「んなもの、本当に必要なのか?」という主張だって出てきます。実際、プロテスタントは、こういった秘蹟を極力縮小してます。

 

 

また、様々な聖書解釈が許されるというならば、その妥当性、独自性、いっそ特殊性はともかく、例えばエホバの証人の言うような「輸血拒否」に通じる考え方だって出てくるわけです。

 

 

矢内原センセも言ってますが、原則的には、そんないろんな解釈があってもいいではないか、と。

 

 

問題があるとすれば、それが一般社会通念と大きく乖離してしまう場合でしょう。

まあ、自己責任ということで、信者である方がたとえ、その必要があるからといわれても輸血を拒否したっていいはずです。

しかし、これを、必ずしもその教義を受け入れてはいない自身の子供(二世信者など)に強制するのはどうか。

 

 

 

さてさて、矢内原センセは自身の立ち位置である、内村鑑三の主張した「無教会主義」をここで示しております。

 

 

 

内村鑑三

 

 

 

 

自分達は、こういったカトリックや、プロテスタントといった宗派、教会には属さず、直接、聖書を学ぶのだ、と。

 

 

して、これを「宗教改革」に匹敵、否それ以上の改革だと言っております。

すごい自負ですねえ。

 

 

しかし、言っては悪いですが、少なくともその改革が大きなうねりとなってキリスト教を大きく変えた、というような兆しは特に見えていないように思いますが。

 

 

 

さて、その土台とする聖書ですが、新約聖書にあっては当初、イエスの言行禄や、イエスについて書かれた福音書、黙示録、パウロの書いた手紙に代表される書簡はもっとずっと多くあって、それぞれのグループによってバラバラに用いられていたとします。

 

2世紀頃になって、マタイ以下四福音書パウロの手紙が重視されるようになり、4世紀になって現在用いられているものとほぼ同じ内容のものが「正典」となったとされます。ここに、ユダヤ教の聖書を『旧約聖書』として加えたものが、キリスト教でいう「聖書」というものになっております。

 

 

つまり、正典にならなかったもの(※ 外典、偽典)もあるわけですが、宗派によってはこの中の幾つかを重視することもあります。ここにも解釈の違いがあります。

 

 

して、このような取捨選択が行われた聖書を土台とする限り、無教会主義とは言っても、もはやこの段階で、正典化をおこなったカトリック教会の解釈を受け入れてしまっている、とは言えないのか。

 

 

例えばの話、このカトリックによる正典化が行われる前、マルキオンという聖職者が、ルカの福音書とパウロの手紙だけを唯一のもの、つまり正典としようとしましたが、これはカトリックによって否定されております。

 

 

矢内原センセのおっしゃるように、聖書解釈にはいろんなスタンスがあっていいというなら、このマルキオンに倣ったっていいということにもなるでしょう。

 

 

 

要は、無教会主義というのは、既存のキリスト教会の組織には属さないというだけのことで、当然ながらそこで行われる儀礼や、いわゆる教会活動は行わないにしても、言うなればその主張、立場はプロテスタントの一派にもなるのではないかとすら思われます。

 

ただ、いわゆるプロテスタントは教会活動を行っておりますから、教会活動を行わないプロテスタントということにはならないのか。

 

まあ、そういうくくり、区分は嫌がるかもしれませんが。

自分達はあくまで、キリスト教の改革派なのだと。

 

だったら、エホバの証人やモルモン教だってそうなるはずです。

 

 

ちなみに、この無教会主義の人々の集まりを「聖書研究会」といっていたようですが、エホバの証人の初期も同じく、このような名称のグループであったとされます。

 

 

ついでながら、以前にも書きましたが新約聖書学者の田川建三センセは「神を信じないクリスチャン」と称しておられますが、あっしなんぞは「イエスとなら、お友達になってもいいかな、と思っている非クリスチャン」ということになりますかねえ。

 

 

 

意外に冷たいのかもしれないイエス

 

 

 

わし、ねずみ男なんかと友達にはなりたくないなー

 

 

た、また・・・。そんなつれないことを