毒にも薬にもならないキリスト教入門 ㉞ 最後の晩餐 イエスを食うこと? | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

最後の晩餐であります。レオナルド・ダ・ヴィンチの絵で有名ですねえ。

 

 

 

 

 

よく話題になるのが、裏切り者ユダはどこにいるのかでしょう。ネットでその紹介図がありましたのでお借りしました。

 

しかし、考えてみればこの食卓は変です。

 

 

普通は向かい合って食事するものでしょう。それがみな細長いテーブルで前を向いて食事してます。当時のユダヤ社会の会食はこうだったのか?いやいや、これはあくまで寓意画といいますか、最後の晩餐をイメージ化したものゆえの構図だと思われます。

 

 

イエスにこう言われ弟子たちが驚き慌てふためている中にあって、少し身を引いたユダの姿勢がなんとも意味深です。

 

 

えー、この時、13番目の、自称隠れ弟子のねずみ男はどこにいたかといいますと、なんせパシリですから足りなくなった酒を買いに行かされていたとされます。

 

 

過ぎ越しの祭りだからいいワインを?いや、あの飲んだくれのイエスの大将は酔っちまうと味なんかわからないんだから、一番安いワインでいいんだよ。浮いた金はあっしの懐に・・・

 

 

 

 

 

 

 

むう、ねずみ男。お主も相当のワルよのう

 

へへ、このぐらいしないと、パシリなんて馬鹿らしくってねえ、越後屋酒店さん

 

 

なんてー本筋とは一切関係のない話があったようですが、これは新約聖書偽典というか、その信憑性が全くないとされる『ねずみ男の福音書』にしかありません。

 

 

さて、イエスは当時のユダヤ社会の、日本の警察でいう公安にマークされていることを知っており、ここで弟子たちに「後のことは頼む」という申し送りをしたとされます。

 

そして、パンをイエスの身体、ワインをその血としてしろ、なんてわけのわかんねーことをいっております。

 

 

むろん、これはシンボリックな表現ですが、広く世界を見渡しますと似たような風習、儀礼があることに気づかされます。

 

 

例えばアフリカの戦闘的な部族にあっては、戦いにおいて亡くなった勇敢な戦士、あるいは族長の肉を仲間が食ったとされますが、これは、その勇敢な兵士なり、優れた族長の持っていた力を継承しようとする考えに基づくものとされます。

 

人間が人間を食うことをカニバリズムといいますが、それこそ「人食い(人種)」として恐れられたのは、このような風習を知らなかった西洋人でした。ちなみに、そんな土着民にとって西洋人は優れた文明人と見られ、その能力を自分達も身に付けたいという願いから、これを食ったこともあったかもしれないですねえ。

 

日本には「骨噛み」という風習が一部の地域にありまして、長寿だった方、尊敬を受けていた方の骨を身内のものが食べるということもあったようです。印象的であったのは俳優の勝新太郎が身内の葬儀の時、まさにこれをやっていたものを偶然、TVカメラが捉えており、奥さんであった中村珠緒がこれをやめさせるという場面を、あっしは見たことがります。このような風習を当時知らなかったあっしは、『勝のオッサン、気でも狂ったのか!?』なんて思ってました。

 

 

ついでながら、70年代に起こった南米の飛行機事故において、遭難した乗客たちが亡くなった者の肉を食い、何とか生き延びたという、映画化にもなった『アンデスの聖餐』というものが知られております。

 

 

 

 

さらに寄り道ついでに、大岡昇平の『野火』は、作者自身の南方における兵士体験に基づく小説ですが、この中に「猿の肉」とされて食べたものが、実は人肉だったという暗示があります。

 

して、人肉を食うと、そこに含まれるという物質のリンによるものか、口の周りが青白く光る、なんて言う話もあります。大岡自身の口も光っていたのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

ですよねえ・・・。

 

 

 

さてさて、話を戻しましてキリスト教会では、このイエスの肉を食い、血を飲むということをシンボリックに示す「聖体拝領」という儀式があります。

 

キリスト教においては、イエスは神の子とされ、なおかつ死んでからは神格化されておりますから、その肉を食い、血を飲むという行為はその神と一体化することを意味するようです。

 

 

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コロナ禍騒ぎがまだ依然として続いておりますが、噂によりますとエボラ出血熱やエイズに対し、先天的抗体を持った方々がごく稀にいたように、この新型コロナウィルスに対する抗体を持った方がいるのではないか、と思います。

 

 

その稀な方が、たまたま、あっしだったとしたら・・・、

 

 

献体とされ、その全てがワクチンとなるということもある!?

 

 

 

しかし、どうもこのワクチン、困った副作用があり、時々わけのわからんことを言い出す、口から出まかせ嘘八百を並べ立てる、さらにはキリスト教を冒涜するような言葉をまき散らすということで、ヴァチカンなどから抗議を受け、一般には出回らなくなるということもあるのではないか、と。