むかーし、『怪奇大作戦』というTVドラマがありまして、その主題歌に、
悪魔が今夜も騒いでいる ♪
なんてー歌詞がありましたねえ。
今日この頃は、自宅待機が推奨されておりますが、
ねずみ男の野郎、毎夜、あくまでも召喚してどんちゃん騒ぎやってんじゃねーだろーなー
なーんてねえ。
して、悪魔を召喚する、つまり呼び出すにはそれ相応の準備が必要です。
魔法陣(円)を書いて、魔法杖など様々な備品を用います。なお、下図は富と財宝を支配する悪魔を召喚するものです。
他にも、その目的に応じ違った悪魔を呼び出すことができるとか。
むろん、小悪魔や、美魔女だって召喚できると思いますが、やり方を間違えると、
もう、ねずみ男さんたら。あたしのことが忘れられないのね
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あ、今のなし。取り消し。
うーむ、本当はブランデーだったんだが、ないから焼酎を代用したのがまずかったのか。
さてさて、この悪魔ですが、例えばユダヤ民族は敵対する民族が信仰する神をことごとく悪魔にしてしまっておりますことからして、要は、異民族はみな悪魔ということになります。
しかし、これ、考えてみればあくまでユダヤ民族からの視点に過ぎません。
同じように、古代日本でも、大和朝廷はその支配に屈しない九州の民を熊襲(くまそ)、東北の民を蝦夷(えみし)という蔑称で呼び、ひいては彼らを「鬼」扱いしていたようです。
ちなみに、あの「桃太郎」の話も、本当は、言うなれば他国の人々を鬼として、侵略戦争を仕掛け、その財産を略奪したのではないのでしょうか。
戦時下、日本は「鬼畜米英」なんて蔑称も使ってましたしねえ。
要は、自分達の感じている不安や恐怖、さらには憎しみといったものを、そういう外部対象に投影して、極悪非道の存在にしてしまっているように思います。
「疑心暗鬼」という言葉にもありますように、本当は悪魔なり、鬼は、自身が作り出した幻影ではないかとも思います。