アブナイ宗教学 聖なるものを考える ⑦ 石、岩、砂、大地をナメてはいけません (ナメるか!) | 日々の妄言、ざれ言、たわ言、世迷言

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思いつくことを適当に書き込んで行きます。まことしやかに書かれておりますが、何の根拠もありません。適当に読み流してください。

時々、神主の方ですから、「神道は宗教ではありません。教祖もおらず、経典もなく、布教もしませんから」という方がいらっしゃいますが、これは宗教学という視点からするとおかしな考え方であります。

 

 

そもそも、「神道」の「」という概念からして、これはもう立派な宗教です。

 

 

また、専門的には、教祖がいて、経典があり、布教するものを「創唱宗教」といい、これに対し、神道、さらにはアニミズム(※ 万物に霊魂、聖霊が宿るというプリミティブ〔原始的〕信仰)一般を「自然宗教」といいます。

 

 

歴史的には「宗教」という言葉は明治になって作られた概念で、キリスト教、イスラム教、仏教といった創唱宗教を指すものとされました。一方、日本古来の神道、というか一般的には土俗的な民間信仰は、こういった体系だったものではなかったため、除外されたとも言えますし、また、明治維新政府の国家イデオロギーともなる、天皇を頂点に据えた国家神道を、宗教ではなく「国体」という思想秩序とするためにも、あえて外した、ともいうべきでしょう。

 

これが、今日にも引き継がれ、例えば閣僚が公式な立場で靖国神社に参拝するような場合なども利用されるというべきか?

 

 

 

なお、明治期、民間における神道というよりは、土俗的な信仰も色濃かったものは、この国家神道体系の中に再構築されてゆきます。

 

例えば、それまで、集落ごとに、その御神体も、仏像や、いっそわけのわからん神様を祀った神社というよりは、お宮、祠というものがあったようですが、これらはことごとく天孫系の神々、もしくは三種の神器の一つであるに差し替えられたようですし、場合によっては廃されたこともあったようです。

 

これも廃仏毀釈思想の一環ですが、この経緯を見るに、それまで、神道(というか土俗的近刊信仰)と仏教(御利益中心のもの)が混然一体化していたように思います。

 

 

して、ここでスポットを当てているのは、そのまさに神道、それも神社神道というよりは、土俗的民間信仰の要素が強いものであります。

 

 

まずは石(岩)です。

 

 

 

 

 

これは「磐座(いわくら)」と呼ばれるもので、この石(岩)に神が宿るとも、この石そのものがご神体ともされるもので、きわめて古い信仰に基づくものです。本来、神道においは社(やしろ - 神殿)のようなものはなく、このような場所で定期的に祭礼が行われていたとされます。

 

 

御神体も、奈良は日本最古の神社ともされる大神(おおみわ)神社のように、鏡ではなく背後の山そのもの、といったように、自然そのものであったようです。

 

 

先にも書きましたように、明治維新の頃、それまでで祀られていた様々な自然のものとしての御神体を、祭神を、天孫系の神々に差し替えてしまいましたから、その本来祀っていたものが何であるかわからなくなっているようにも思われます。

 

 

ゆえに、歴史の新しい、こと明治以降に作られたような神社は別として、地方にある由緒ある神社の、その本来の御神体、祭神は何であったのかを調べてみるのも面白いように思います。

 

 

 

例えば、長野県は上田市にあります生島足島(いくしまたるしま)神社の御神体は、神殿の下の土間、つまり大地そのもの、であります。

 

 

 

 

 

 

 

つまり、大地そのものを聖なるものとしているのであります。地母神信仰にも通じるんでしょうか?

 

 

母なる大地」って言いますしねえ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうよ、ねずみ男さん。女は偉大なのよ

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。うるせー、テメーは黙ってろ!

 

 

 

 

なお、地鎮祭におきましては聖地を作るために砂が用いられます(砂盛り)。

 

 

 

 

 

 

この地鎮祭の歴史は相当古いもので、その基本的な考え方は、その大地、土地を使わせていただくので、安泰、ご加護をお願いします、といったことなのでしょう。

 

 

このように大地を神聖なものと考えるのは、アメリカ先住民(俗にインディアン)にもみられるようですし、ヨーロッパでもキリスト教信仰以前の古い慣習においては、やはり農耕との絡みからなのか、女性が畑の畔に横たわり豊穣を祈願するというものもあったようです。

 

 

 

 

 

 

だから、やっぱり女性は偉大なのよ。ねずみ男さんも、もっと女性に対し敬意を払わなきゃダメよ

 

 

 

 

 

黙ってろ、って言ってーだろ!

 

 

 

 

しかしながら、もし、このように女性が偉大ということで、豊穣信仰、女神信仰に繋がっているのに対し男性は、はてさて・・・。

 

 

触媒みたいなもんなんですかねえ。用済み廃棄、みたいな。