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伊達ヒューゴブログ

伊達ヒューゴのブログです

先日の研修での一場面。

みなさんにコミュニケーションについていろいろとアウトプットしていただきました。

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コミュニケーションがあまりうまくいってない職場にはいくつか共通する特徴があるのですが、その一つに次のようなことがあるのではと思います。

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それは、「コミュニケーションは良い方がいいに決まっているじゃないか」という考えです。あくまでぼく個人が取っているアンケートからですけどね。

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たとえば、職場内やチーム内でコミュニケーションが円滑だと仕事の能率は上がるし、それなりに効果も期待できるし、やり取りする余計な手数がかからないから理にかなっているし、何より速くことが済みます。

「だからコミュニケーションは良い方がいいに決まっているし、だからコミュニケーション力が必要であるのは当然なのである。W杯が開催されているが、強いチームは個人の力もさることながらチームの連携がいい、つまりコミュニケーションがいいのだ。」

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たしかに、そのお考えについてはある程度、理解することはできます。

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けれどもそうすると、コミュニケーション力というものは、どこかの誰かが、どこかの組織が線引きして決めたコミュニケーションの水準にかなわない人は、その組織ではいったいどうなってしまうのだろうと想像してしまいます。

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コミュニケーションがうまくいくことは勘定に入れるけれども、うまくいかないことはいっさい勘定には入れないということなのだとするならば、コミュニケーションがうまくいく人たちだけで組織やチームが運用されることにはならないのかしら。

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それともそんなことは想像していない、あるいはそんな想像する時間はムダである、あるいはそんな時間すらないほどに馬車馬のように働いているのでしょうか。もしもそうだとするならね、ぼくはちょっと心配になってしまいます。

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巷にはたくさんの名言がありますが、名言の中には、ものごとがうまくいかなかった失敗から結果として成功を導き出せた多くの名言を探すことができます。

何かを発見したり、新たに何かがうまくいったり、新たな何かをつくり出せたりするのって、意外とコミュニケーションがうまくいかない中にあったりするもではないでしょうか。

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「コミュニケーションはいい方に決まっているじゃないか」という考え方は、うまくいかない時にこそ可能性があるかもしれないということを、はじめから無かったことにしたいのではないかと、ぼくは良からぬ勘ぐりが働いてしまいます。

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それによいコミュニケーションにこだわり過ぎると、コミュニケーションのボタンをたった一つ掛け違えただけで大惨事になってしまうことがあります。

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わたしたちの多くに広く底通するのは、よいコミュニケーションよりも、「コミュニケーションってさ、何だかうまくいかないよね。どうしてうまくいかないのかしらね。」という、うまくいかないコミュニケーションじゃないかなと思います。

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よいコミュニケーションももちろんなんだけれども、そうではないコミュニケーションも勘定に入れながらコミュニケーションを考えてみる。

そのようなところをお互いの共通の足場にしながコミュニケーションを考えてみたいと思いませんか、っていうことを移動中に鶏めし弁当を食べながら思ったのでした。

鶏めし。美味しいのです。