◆陸奥国・二本松城(霞ヶ城) 搦手門跡/国指定史跡◆① | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2024年1月6日訪問※


霞ヶ城公園西側の遊歩道を登り【搦手門跡】まで登って来ました音譜


山の上に広大な石垣が詰まれている光景は圧巻ですキラキラ


非常に立派な石垣です音譜



門跡の反対側にも石積を確認する事が出来ました✨


【搦手門】の案内板が建てられていますので見てみましょう✨


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搦手門

この場所は近世の搦手門があった場所です。城の正面を大手と呼ぶのに対して、裏手を搦手と呼びます。 

平成13年度発掘調査の結果、新旧2時期の門跡が確認されました。 

第一期は掘立柱の冠木門(冠木と呼ぶ横木を2本の門柱の上方につらぬき渡してある門で、屋根はない。)で、現存する礎石のやや南側で発見されました。

直径30㎝ほどの柱の根元が現存しており、栗材と鑑定されました。

この柱根は、保存処理が施され当市歴史資料館で保存・展示されています。

なお、近世以前の様子を描いた絵図「会津郡二本松城之図」では、屋根のある門が描かれています。 

第二期は、現存する礎石の時期で、この礎石は据えられた当時のまま残されいることが確認されました。


柱間は3.2mあり、扉のためのホゾといわれる穴があることから、一枚約1.4mの扉の付く高麗門である可能性が高いと考えられます。

両側には門台石垣が築かれ、その石積み様式から寛永初期の門跡であることがわかりました。 


これらのことから、蒲生氏時代に掘立柱であった門を、加藤氏が石材を用いて整備したことが明らかとなりました。 

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