▲遠江国・信康山清瀧寺 信康廟▲② | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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城巡り・史跡巡り・サッカー観戦etc…

興味の有る事について書いて行きたいと思います!


※2023年8月7日訪問※


松平信康(徳川信康)の眠る【信康廟】を参拝させて頂きます音譜


と言っても、信康廟への入口には柵が設けられていて、すぐ側まで立ち入る事は出来ませんあせる


柵の隙間から、右手の方に視線を移すと、小さな墓石のを数基確認する事が出来ます✨

左から【吉良お初・大久保忠世・中根正照・青木吉継の墓】 


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吉良お初は信康切腹の際に殉死。

大久保忠世は徳川譜代の重臣で二俣城主を務め、のちに小田原城主となり、奇しくも信康と同じ9月15日に亡くなっている。 

中根正照・青木吉継は武田信玄が二俣城を攻めた際に守備したが落城させられている。その後、三方ヶ原の戦いで戦死)

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信康や二俣城にゆかりの有る人物達もこの信康廟の入口部分に共に祀られているんですね✨


普段は非公開という事で、柵の隙間から少しだけ信康廟を見る事が出来ました音譜


切腹後、信康の遺骸は二俣城と地続きの蜷原の丘で荼毘に付されたとされ、この信康廟の墓は信康百回忌(延宝6年/1678)の際に建てられたものと伝わっていますキラキラ


《武勇に優れた猛々しい武将》《残虐な暴君》など、信康に関するエピソードは様々有りますが、わずか21歳という若さで命を絶つしかなかったその運命は、《悲運の武将》としてこれからも後世に語り継がれて行く事でしょうねあせる

柵の外からですが、信康廟に手を合わせ、清瀧寺さんを後にしました🚶

その後、信康自刃の地である二俣城跡に向かったのですが、途中でゲリラ豪雨に遭遇☔💣️⚡

二俣城跡すぐ側の【城下公園】のトイレに避難し、天候の回復を待ちましたが、一向に雨が止まずあせる

帰りの新幹線の時間も有るので、せっかく城跡のすぐ側まで来たものの、二俣城散策は断念し、どしゃ降りの中を天竜二俣駅まで走り、仙台への帰路につきました🚄


という事で、今回は1泊2日での静岡遠征で、浜松城・大河ドラマ館(浜松)・掛川城・清瀧寺などの史跡を巡りました音譜

徳川家ゆかりの場所や、かねてからの念願だった松平信康廟への参拝など、普段中々訪れる事の無い場所に来れた事は、とても有意義な時間でした✨

二俣城跡散策は、天気の良いタイミングで、いつかリベンジしたいと思います音譜