※2023年9月23日訪問※
千葉県千葉市の【猪鼻城(亥鼻城・千葉城)】を訪れました
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猪鼻山は、北は都川、西は断崖に面した天険の要害の地に築かれた平山城である。
鎌倉幕府を開いた源頼朝の挙兵に際し、いち早く参陣して東国武士団の動向に大きな影響を与えた重鎮千葉常胤の父である千葉常重が平安時代の1126年(大治元年)、上総国大椎城(現在の千葉市緑区大椎町)から拠点を移し、下総国(現在の千葉市中央区亥鼻付近)に居館を構えた。
拠点を移して以来、1455年(康正元年)、千葉胤直が下総原氏の原胤房に追われるまで、千葉氏13代(約330年)に渡り両総に覇を唱えた千葉氏の拠点と言われる。
市指定文化財(史跡)に指定されている。
しかし、これまでの発掘調査で、鎌倉時代の千葉氏の館の痕跡は確認されておらず、遺構として残されている土塁や空堀の特徴から、実際には戦国時代の城跡であると推測されている。
亥鼻城は原胤隆の子・範覚のときに取り立てられ、1516年(永正13年)に三上氏の攻撃を受けた。
このとき、弥富原氏と見られる原蔵人が討ち死にしているので、亥鼻城は原氏によって築城・維持されたという説もある。
城跡は1909年(明治42年)以降公園として開放され、1959年(昭和34年)に歴史公園「亥鼻公園」(面積10,293平方メートル)として整備され、亥鼻山の中腹には、1967年(昭和42年)に千葉市立郷土博物館(模擬天守)、いのはな亭(茶室及び庭園)が建造された。
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◆下総国・猪鼻城(亥鼻城・千葉城) お茶の水/千葉市指定史跡◆に続く