※2023年5月21日訪問※
埼玉県川越市の【三芳野神社】さんを訪れました
川越城の本丸御殿からすぐ見える【お城の天神さま 県指定文化財 三芳野神社 とうりゃんせの唄発祥の地】という大きな看板
この看板から進むと、公園のようになっている場所に多くの石碑が並んでいました✨
【わらべ唄発祥の地】
この石碑は、童謡の『とうりゃんせ』が、この三芳野神社に参拝する様子を唄った物だとされる事から建てられたそうです
ここで、童謡『とうりゃんせ』の歌詞を確認しておきましょう✨
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細通じゃ
天神さまの細道じゃ
ちっと通して下しゃんせ
御用のないもの通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに
お札を納めにまいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
この歌詞を踏まえた上で、三芳野神社の歴史をおさらいして行きます
古くから庶民に親しまれた三芳野神社は、1639年の川越城拡張整備により川越城内に取り込まれ、川越城の鎮守となった為、一般庶民の参拝はできなくなってしまいます
しかし、信仰心の篤い庶民の姿を見た当時の藩主は、年に一度の三芳野神社大祭と七五三のお祝い時のみ参拝を許しました
天神様にお参りする順路は、南大手門から入城し、田郭門を抜け富士見櫓を左手に見て進み、天神門を潜って直進し、直角に左に曲がって三芳野神社に直進する参道を進んだと考えられており、これが“とうりゃんせ”に唄われた天神様の細道と伝わっているんですね✨
当時の城郭はいわゆる《軍事施設》であり、機密事項が多く隠されている城内に、大勢の一般庶民を入れるというのは、情報漏洩の観点からも大きなリスクを背負う事になります
「御用のないものとうしゃせぬ」という歌詞にも表れている通り、入城する際にはかなり厳しい取り調べが行われたと推測されますが、それでも「行きはよいよい、帰りはこわい」と唄われているのは、退城の際は機密書類等を持っていないかなどの厳しい取り調べが行われたと考えられと、『入場より退場の方がより厳しかった』という事を唄っているのではないかと推測されます
【川越城の七不思議】
社殿の脇に説明板が建てられていたので読んで見ると…
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
大楠に関するご説明
江戸期に建立された三芳野神社社殿は修復の時期を迎え、去る平成四年に第一期修復工事が竣工、平成二十七より第二期修復工事を行うこととなりました。
今期の修復に当たり、社殿並びに創建当時よりの石組の排水溝が大楠の根によって持ち上げられ、旧態を留めることが困難になっていることを鑑み関係各位と協議し、やむなく大楠を伐採することとなりました。
これも川越の先人方の志を継ぎ、社殿を保存するためでございますので、皆様方のご理解をお願い申し上げるしだいでごさいます。
▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲
石組と柵が少し膨らんでいるように見えたのは、かつてこの場所に有った大楠の影響だったようですね
現在は巨大な切株のみが残されていました✨
▲武蔵国・三芳野神社(埼玉県川越市) 本殿・弊殿・拝殿/埼玉県指定文化財▲に続く