▲出羽国・大儀山正平寺 小野寺泰道墓所/横手市指定史跡▲ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2022年10月24日訪問※



正平寺さんの境内を進んでいくと、3基並んだ立派な石塔を見ることが出来ます音譜


向かって一番右側の石塔が、横手城主であった【小野寺泰道の墓石】と伝わっています音譜


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十五世紀初め、泰道は本拠を雄勝郡稲庭から横手に移し、三戸城を拠点とする南部氏など、周辺の勢力との領土争いに明け暮れます。

横手に正平寺を建立し、文明九年(1477)十二月六日死去。
享年七十五歳と伝わっています。

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泰道公五百五十回忌の際に建てられたと思われる標柱が側に建てられていましたキラキラ


小野寺泰道墓石の横に並んでいるのは、奥州藤原氏にゆかりの有る【小館三郎正衡供養塔】との事ですキラキラ


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「大義山正平寺縁起並大義来由」や「正平禅寺古記録」などの後世の記録物によれば、後三年の役で清原家衡に味方して金沢柵の陥落後処刑されて敗死した清原頼遠(大鳥山太郎清原頼遠)の勢力圏を受け継いで、出羽横手を本拠に「小館三郎正衡」と名乗り、山北「三郡の太守」になったという言い伝えがある。 

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