▲陸奥国・増上山大願寺 伊達政宗灰塚▲ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2021年3月29日訪問※


大願寺さんの本堂裏手には【伊達政宗灰塚】と呼ばれる史跡が有ります音譜音譜


大願寺さんの山門のすぐ側に【大願寺 墓所案内図】と書かれた境内の地図があり、これを見て頂くと、何やら水堀のようなもので囲まれた四角い区画が有ることがわかります音譜


墓地の中を通り抜け、本堂の裏手に回って来ると【伊達政宗灰塚】と書かれた案内板が建てられていましたキラキラ


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仙台藩初代藩主伊達政宗は、寛永13年(1636年)陰暦5月24日、江戸桜田の仙台藩邸において、70年にわたる波乱の生涯を終えました。

遺骸はすぐに仙台へ運ばれ、「治家記録」によれば同年6月4日、遺言に従って経ヶ峯(現仙台市青葉区霊屋下)に埋葬されました。

その後連日法要を行い、同年23日この地で葬礼が行われました。

この葬礼は埋葬後であるため、遺骸のない空棺でとり行われ、棺を焼いた灰を埋納して塚を築き、土塁と周濠を廻らしました。


伊達家には、藩主や夫人の遺骸を死後すぐに埋葬し、49日の間に原野で空棺による葬礼を行うという独特の風習があり、伊達政宗の葬礼は大願寺(当時は原野)で、母保春院の葬礼は永昌寺(当時は原野)で行われました。

葬礼用具一式は当地で焼かれ、灰は多量の土で饅頭状に覆って周囲に土塁を巡らせました。

これを灰塚と呼びます。

五代藩主伊達吉村の代に至って、灰塚は戦国時代の遺風であり無益であるとして廃されました。

二代藩主伊達忠宗、三代藩主伊達綱宗の灰塚も北山にありましたが、現存していません。

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灰塚の周囲には濠が巡らされていますね✨




濠に掛かる石橋を渡り、正面に見える小山のような場所が【伊達政宗灰塚】ですキラキラキラキラ



土塁のような高まりが見受けられますねニコニコ音譜音譜




仙台の住宅地の中に有る大願寺さんですが、この灰塚だけは、周囲とは隔離されたかのような静寂な空間となっていましたニコニコキラキラ