◆出羽国・上山城(月岡城)/上山市指定史跡◆ | ★千代と限らじ仙臺の松★ ~We are feelin' love together~ 

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※2020年6月3日訪問※


山形県上山市にある【上山城】を約20年振りに訪れましたキラキラ




温泉で有名な山形県上山市温泉


そんな上山市に有る『羽州の名城』と讃えられた『上山城』をご紹介アップアップ

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南北朝時代、天童頼直の子上満永が上山に配されたことに始まる。満長は上山市松山の虚空蔵山に高楯城を築き居城とした。

永正5年(1508年)に伊達氏がこの城を攻め落とし、城主上山義房は逃亡。
伊達家臣小梁川貞範がこの地に入った。

永正17年(1520年)最上義定の死去に伴う混乱に乗じて義房が兵を挙げるものの伊達氏と戦って討死する。

天分4年(1535年)上山義房の子・武衛義忠が城を奪還。義忠によって天神森に改めて築城された平山城が現在の上山城である。

以後城主は武衛義節、そしてその子上山満兼と続く。

この頃、天童氏は最上八楯を形成し、最上義光と対立。満兼も天童一門として義光に従う事を拒否し、伊達氏とともに山形を攻めるなどした。

しかし天正8年(1580年)義光は里見民部を寝返らせて上山城を攻め落とし、城主満兼は討死。代わって里見民部が上山城主になった。

江戸初期に最上氏が改易された後は、没落した諸大名が3万石から4万石で入部し、城主がめまぐるしく変わるが、上山藩自体は幕末まで存続した。

歴代藩主は、
能見松平家2代(4万石)
蒲生家1代(4万石)
土岐家2代(2.5万石、後3.5万石)
金森家1代(3.87万石)
藤井松平家(3万石)
と目まぐるしく代わるが、明治維新まで藤井氏が当地を治め、10代(3万石)信安の代まで居城として用いた。

しかし明治時代に入ると廃城令の影響で1873年より取り壊されたり、払い下げられたりして廃城となった。


城は本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いていた。藤井氏時代は天守はなく、二の丸に居館が設けられていた。

金森家が転封された際に一度破却されたが、破却前は本丸に三重の天守や各所に櫓門がある近世城郭であり、月岡・天神森にそびえるその壮麗な城郭は「羽州の名城」として広く知れ渡っていた。

藤井松平家が封じられた際に上山城は再興されたが、二の丸に居館を設けた程度の城構えであり明治を迎えた。


城跡は月岡公園および月岡神社境内となり、1982年に二の丸跡に3層の模擬天守が建立された。模擬天守の内部は、郷土歴史資料館として利用されている。

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