シュート!
大島司による日本の漫画作品。
『週刊少年マガジン』(講談社)にて、1990年36号より2003年24号まで約13年間に渡って連載された。
1994年には第18回講談社漫画賞を受賞。
久保嘉晴
■ポジション:MF
■背番号:10
1974年7月29日生まれ、1991年8月9日死去。
身長179cm、体重65kg。
AB型。
尊敬する選手は奥寺康彦、好きな選手は三浦知良とヨハン・クライフ。
高校2年の初めに白血病を患って入院、退院後は順調な経過をたどるが完治はせず、(アニメによれば)貧血状態で激しい運動を続けたことで心不全を誘発し死亡。
長く生きる事よりも一瞬でも多くボールを追い駆けたいと願い、そのためにチームメイトには病を隠していた。
サッカーに関しては周囲が驚くほどの積極的な行動力を持つが、サッカーを離れるとたちまち存在感が薄くなってしまい、磯貝監督も制服姿の久保は記憶にないほどと例えている。
なお、1年生時に出会った美奈子に一目惚れしており、北原のことに話が及ぶと顔を赤らめるという面がある。一見クールな性格。
掛川のキャプテンで、サッカーに詳しくない磯貝監督に代わり采配を振っていた。
中学1年から中学3年前半までの2年半を旧西ドイツで過ごし、「天才」と呼ばれ将来を嘱望されるほどの選手であった。
帰国すると神谷のいたヤマハFCに所属、日本ジュニアユース代表にも選出され得点王に輝いている。
高校進学時には「自由なサッカー」「トータルフットボール」を目指して、ヤマハFCから神谷・矢野・服部を誘い新設校の掛川へと進学している。
高校進学後もサッカー第一の姿勢は変わらず、攻守のキーマンとして大塚と赤堀を熱烈に勧誘し、自らチームメイトを指導して(エース加納を怪我で欠いていたとはいえ)藤田東を破るまでに導いている。
早くから田仲の左足の潜在能力を見出しており、観戦に訪れていた掛西中トリオに「待ってる」と声をかけた。
そのため入院中に掛西中トリオの入部を聞いた際には大変喜んだという。
しかし、インターハイ静岡県予選準決勝・掛北戦において「奇跡の11人抜き」を成し遂げた後ピッチ上で倒れ、交代後にそのまま控室で死亡した。
チームメイトにその事が知らされたのは試合に勝利し決勝進出を決めた後であったが、久保の急死がチームメイトに与えた衝撃と動揺は大きく、決勝戦・藤田東戦では大敗に終わる結果となった。
しかしながら、久保の意思や理想は神谷たちによって引き継がれ、後に掛川高校サッカー部は全国最強となるチームに変貌を遂げることとなる。
乱丸のコメント
4月の始めに「シュート」の舞台となった掛川に行ってきました
漫画にも出てきた木造建築の駅や掛川城なども見てきました。
実はこの「シュート」ですがSMAPが主演で実写映画にもなっている作品です
実際に掛川で撮影もありました。
主人公のトシ役に中居正広さん。
そして今回特集した久保嘉晴役は木村拓哉さんでした
「シュート」をご存知の方なら誰でも知っているのが久保の「伝説の11人抜き」ですね
私が「シュート」の中で1番印象に残っている試合もこの伝説が生まれた、対掛北戦です。
この試合は掛北の広瀬の「ナックルシュート」で2点を決められます。
これ以上の失点は厳しいので久保が守りに入りGK健二のカバーをしました。
後半に入りトシの「幻の左」で1点を返します。
試合も終盤に入り久保が健二に「1点取る」とゴールから走り出しました。
「伝説の11人抜き」で同点に追いついたところで久保は倒れこみました。
PK戦になっては相手キーパーが上なので勝てないと平松がゴール前で反則。
FKの時にGK健二は壁はいらないとがっちりボールを掴むためにどかせた。
これまで1度も止めていない広瀬の「ナックルシュート」を健二が止めてみせた。
ここから中学時代からの必勝パターンの「トリプルカウンターアタック」が炸裂。
トシが左のジャンピングボレーで決勝ゴール。
そして試合終了。
試合後に聞かされた副将神谷からの「久保が死んだ」という言葉に愕然とするチームメイト。
私も漫画でこの場面を読んだ時には思わず泣きましたね
1人の17才の少年が与えた感動を私は忘れないと思います
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