"追い込まない"トレーニングで強くなる | 酒井根走遊会のページ

みなさんこんにちは。

酒井根走遊会です。

 

本日は『”追い込まない”トレーニングで強くなる』というテーマで書いていきたいと思います。

 

”追い込む”という言葉は、日本のスポーツ界におけるトレーニングで最も重要とされている言葉のように思います。

また”今日は追い込めた”・”あまり追い込めなかった”・”かなり追い込んだ”といったような練習の評価軸にもなっていると思います。

おそらく、”追い込む”ことによって、“精神的・肉体的“に強くなれると信じていることからきているのでしょう。

しかし、”追い込む”ことが、スポーツで発揮される能力の向上には必要不可欠なのでしょうか?私は違うと思います。

 

 

パフォーマンス向上における要素

パフォーマンス向上における要素は大きく分けると以下のようになります。

・    生理的要素

・    技術的要素

・    精神的要素

 

・    生理的要素

筋力・柔軟性・心肺機能など私たちの体が生きているだけで多かれ少なかれ発揮している能力です。各スポーツを行う上で、必要となる能力を狙って鍛えることによって、特定の筋力や関節可動域などが向上します。

・    技術的要素

ある特定の運動を意識的に行うときに、私たちはその“動作“を考えながら、体に指令を送ってその運動を行います。専門種目の技術習得によってより効率的に運動を行えるようになります。

・    精神的要素

集中したり、我慢したり、リラックスしたり、イライラしたり、とスポーツの様々な場面で切り替わる内面的な要素でパフォーマンスに大きく影響します。日本では“我慢”“耐える”“一点集中”といった能力が重要とされる傾向にあります。

 

これらをすべて効率よく鍛えられるトレーニングがいわゆる“追い込む”トレーニングと考えられていることで、“追い込む”トレーニングをコーチは選手に与え、選手は必須のトレーニングである、と考えています。

 

“追い込む“トレーニングで強くなる理屈

①    生理的要素 

肉体を限界まで酷使する・限界を超える

②    技術的要素

体がきつい時にいい動きができるようにする

③    精神的要素

体がきつい時に“我慢”して高いパフォーマンスを維持できる心の強さを手に入れる

 

といったところだと思います。

 

しかしこうした“追い込む”トレーニングでは、体に恵まれていなければ(長期的に高負荷・高強度のトレーニングを続けても体が悪くならないなど)、数年~10年以上といった長い競技生活、もしくは生涯スポーツとして、スポーツパフォーマンスを向上させていくことは難しいでしょう。

特に・生理的要素というのは同じことをしていてはすぐに上限に達します。これを生理的限界と言います。例えばVO2maxを向上させるトレーニングを何年も行ったからと言って、右肩上がりに常に伸びていくことはありません。

しかし、多くのコーチ・選手は、伸びなくなった理由を、回数や時間が足りないから、精神的にブレーキをかけていたからといったところに求めることが良く起こります。

そして“追い込む”トレーニングによる”高負荷・高強度・高頻度のトレーニング”を繰り返し行い、様々な能力が上限を迎えた時に、精神的に耐えられなくなった時に、

“生理的限界・精神的限界=自分のスポーツパフォーマンスの限界”

という考えに至り競技から身を引くのだと思います。

 

このように考えると、肉体のピークを迎える20代半ば以降にはパフォーマンス向上・維持することが、肉体的にも心理的にも非常に困難になります。

 

 

“追い込まない“トレーニング

追い込まないトレーニングというと、なんだか練習をさぼっているように聞こえますが違います。

スポーツの本質を追求すると、“上達”・“向上”・“改善”・“新しい発見”などがその中にあります。それらを総じて“スポーツの楽しさ”と表現します。

スポーツの楽しさを追求・探求する方法は私たちが考えている以上にたくさんあります。

それゆえ、パフォーマンスを高める道も、“追い込む”(体を酷使する・高強度の負荷をかける)以外にも方法がたくさんあるということです。

さらに“追い込む”以外の方法で体と向き合った方が、技術的要素の向上が促されるとともに、精神的要素の分野が最も大きく成長するように思います。

 

・    数を減らす・量を減らす(距離や本数という評価指数をやめる)

ジュニア期からトレーニングを継続していると、練習時間は年齢とともに少しずつ延びていき、シニア期では長時間トレーニングが当たり前になっているかもしれません。

もしくはジュニア期に長時間トレーニングが“通常”という考えになっていれば、それ以下になると“練習不足”と感じてしまうでしょう。

これはインターバルの本数、距離走の基本距離、週間(月間)走行距離にも同じことが言えます。

しかし、実際にはそういった“数字”に縛られていては、“追い込まない“トレーニングを行う基礎段階にたどり着けません。

数字を積み重ねることにこだわるのをやめ、今日はこの3本だけ、2本だけ、1本だけ…に集中して取り組んでみましょう。

少ない本数に集中することによって、1本で得られる情報量が非常に多くなります。

例えば1000mの1本・約3分弱にその日の練習の集中力を注ぎ込むと、1000mを10本・約30分走る以上に脳に刺激が入り、中長距離を走る能力・体の機能性を高めます。

もちろん生理的な刺激で考えれば本数を多く繰り返した方が効果はあるかもしれません。
しかし機能性を高めるには、1本に集中して、“走る“・”疾走している“状態の情報を意識的に集める必要があります。そうしたときには”この1本“に集中することが最も効率的です。

 

・    集中する(行う動作に集中する・内部から・外部から)

“集中する“と言って簡単に集中できれば何の苦労もありません。では一体どのようにすれば集中できるのでしょうか。

まずは、その日行う運動に“熱中できる“・“夢中になれる“状態を作ることです。それはその日行う時間だったり、体調だったり、気分だったり、といろんな要素によって左右されると思います。しかし最も大切なことは”自分が今日何をしたいのか?“ということを自分と相談して実行することが良いと思います。

次に、その日行う運動の“目的”“目標”“方法”を明確にしておくことです。例えば1000mを1本だけ行う場合に、

目的は、3000と1500の動きのコントロールを分ける

目標は、前半500mを1:25‐後半500mを1:20‐ゴール2:45前後(しかしあくまでも目安)

方法は、歩数をカウントして、前後半のリズムの違いを確認する

といったような設定をします。

集中に関しては、“今疾走していることが楽しい”という無意識の状態(疾走後に楽しかったと思える状態)であれば、まず集中しているといえます。

さらに“方法”で歩数のカウントと書きましたが、意識的に数を数えてリズムを取ることで、疾走しているうちに数えていたリズムに体が自然に乗っていくような感覚になったりします。こうした内部からの刺激と外部からの刺激を上手に利用して、疾走の目的を深く追求していくことができます。

ここでは1000mのみを紹介していますが、普段行う流しや200mを数本行う場合でも目的と様々な方法を考えながら取り組んでいくことで、練習での集中力が増し、得られる情報量が大幅に増えます

 

・    考える・吟味する(感覚を再確認する・記録する)

こうして集中して行った練習からは、疾走中に多くの情報を得られます。

それはただ練習で、“疲れていた“・“よく動いた“といった評価でなく、体の内部・外部から聞こえてきた情報です。

例えば疾走中に“今日はかなり脚を速く回している”、“大きく動かして、接地で少し溜めるように長く乗っている”、“腕をたたんで前傾した瞬間からピッチが速くなった”、“速いリズムだがまだゆとりがある、ピッチを上げていくイメージが頭に浮かんでいるが、もう少し同じ接地感を持続しよう”…といったように様々なことを感じます。

こうした情報をノートに記録しておくことによって自分がどのように体を使っているのかを記録しておくことができます。この体の感覚の情報を記録していくことが、自分自身のスポーツの財産になるとともに、いつまでもそのスポーツを楽しめる材料にもなります。

 

・    自分を見つめる(主観的に・客観的に)

このように集中した練習を似たような方法でも、違った方法でも、自分なりの考えのもとに行えば、“追い込まない”練習でも自分自身をレベルアップさせていくことが可能です。

さらに“追い込む”トレーニングでは、生理的限界に達すればそこから先の向上が非常に難しくなり、スポーツの楽しさ・モチベーションを別のところ、例えば“記録”・“順位”・“社会的評価”・“金銭的な価値”に求めることになります。

しかし“追い込まない”トレーニングは全く別で、スポーツを行うモチベーションは、“自分自身の主観的な評価”にすべてを託されます。“何かができて楽しい“、”自分だけの方法で、目的を追求する“、こうした自分という軸の中でトレーニングを積み重ねていくことで、自分自身の中からモチベーションを高めていくことが可能です。

言い方を変えれば、モチベーションというものは存在せず、ただ自分との問い・思考・実行を繰り返しているだけになりますが、その中に自分だけの楽しみ方・今まで知らなかった自分を発見する喜びを得られます。

そうした自分だけの軸が、長期的にスポーツを続け自らの能力、今持っている体の機能を意識的に高めていくことに繋がります。

 

また心理面でも、自分を見つめ、機能を十分に発揮しようとする作業を繰り返すことによって、

レース前の不安、緊張、レース中の我慢強さ、といった精神的な揺らぎもコントロールできるようになります。

練習を量や時間にこだわった人と比較した場合には、”これだけ練習したんだから、あれだけ追い込んだのだから、、、”という精神的柱を“追い込む”トレーニングによって形成し、それに頼ることになります。しかし、精神的柱が“日本一”・“世界一”・“唯一無二”・“膨大な量”といった評価の上に成り立っている時、それらを常に達成すること、常に維持し続けることが非常に困難です。またただ積み重ねた数字に信頼を寄せること、他人との量の比較に自信を得るということは、他者評価にゆだねられ自分以上がいるときには案外簡単に崩れます。

“追い込まない”トレーニングで自分のみを見つめていれば、自分のパフォーマンスのみに集中することができます。相手が強くても弱くても、競技会が大きくても小さくても、勝っても負けても、”今持てる自分の力を最大限に発揮しよう”という気持ちで競技に臨むことができます。そうした開き直りとも取れるような精神状態でのパフォーマンスは、自分の思った通りに体を導き、良いパフォーマンスを発揮するだけでなく、精神的な強さといった枠を超えてスポーツを楽しむ原動力になります。
 

 

スポーツで自分と向き合い、体の能力や機能を向上させ、精神的な成長をしていくことによって、“物質的な不足、おかれた環境対する不安や焦り“、“自分自身の才能の足りなさに対する憂い“、こうしたことから解放されるでしょう。

“追い込まない“トレーニングは、自分と語りあうトレーニングと言えます。

その時間を日々のトレーニングの中に少しでも作れれば自分を高めていくことは、いつでもどこでも可能です。

 


スポーツの本質である“楽しむ”ということ、

これは“上達する”・“熟練する”ということ、

さらに簡単に言うと、“できなかったことが、できるようになること”、“難しいと感じることができた時”、“新しい感覚を発見できたとき”…

こうしたときに、私たちはスポーツの楽しさを味わったり、発見したりすることができます。

こうした意識を中心において、”追い込まない”トレーニングで日々のトレーニングを積み重ねていくと、今まで見えていなかったものが見えてくるのではないでしょうか。