みなさんこんにちは。
酒井根走遊会です。
今回は“競技に臨む姿勢と傾向”というテーマでお送りします。
この夏には東京でオリンピック・パラリンピックが開催され、大会後多くの選手がインタビューを受け、大会での競技結果や進退について話していました。
世界のトップレベルの選手が4年に一回の大会を終えたとき、自分自身の“結果”と周りからの“期待”を評価して話をまとめるのかと思いましたが、選手の競技に対する姿勢に関して、それぞれ違いがあったように思いました。
陸上競技に関して言えばほとんどの選手が参加標準記録を突破して集まる大会です。そして世界XX傑といわれる選手が集まった中では、私たちが外から見る以上に“各選手の競技力”は均衡しています。しかしその中でも、各選手の競技に対する向き合い方が大きく異なる場合があることに、インタビューや選手自身からの発信によって私自身多くの気づきがありました。
“選手の傾向”
『スポーツとは、競い合い順位付けすることがすべてで、その結果こそ自分自身の価値、結果が出ないと分かれば引退する…』
という選手もいれば、
『スポーツに熱中していたらオリンピックに出ていて、たくさんの素晴らしい経験ができた。すでに世代交代は済んでいるが、今後も自分のできる範囲で続けていく…』
という選手もいます。
前者に近い考え方の選手、後者に近い考え方の選手、どちらも多く存在し意見が分かれるところだと思いますが、そこは他者と比較するところではなく、自分に問いかけなければならないテーマだと私は思います。
① 結果や成果にすべての価値を見出して強くなる選手の傾向(もしくはチーム・コーチ)
・ 自分の限界を超えるような練習を課せられる(我慢強い)
・ 結果・成果・得られた評価によってモチベーションを高め続ける
② 自分のスポーツを何となく続けている選手の傾向(もしくはグループ・理解者)
・ 自分の限界を超えるような練習を避ける(我慢しない)
・ モチベーションは外的刺激に左右されずに長期安定している
これはすべての選手が①・②とどちらかに完全に分けられるというわけではありません。
競技を継続していく中で、どちらにも傾く変化があります。また傾向が全く変わらない選手も中にはいます。
それは環境による影響もあれば、自分自身の内面的な変化による影響もあります。さらにはどちらの要素もバランスよく持っている(上手に良いポイントを押さえて、欠点をなくしていく)場合の選手もいることでしょう。
スポーツのキャリアの中で多くの変化がある心理面ですが、現在の自身の競技生活や競技(スポーツ)に対する心理面を主観的・客観的に考えると、ある程度自分の傾向が見えてくると思います。
① の傾向の選手
ハードな練習環境に身を置いて、“自分が最も練習している”と思えるようなトレーニング計画をこなせる強い意志がある。高負荷のトレーニングで心身を急速に鍛え上げる傾向にある。
こういった選手の場合
・頑丈な肉体 ・鋼の精神 ・スポンジのような吸収力 ・回復力
を持っている場合、ぐんぐんと成長していくと考えられます。
しかし以下のようなポイントが競技力向上の妨げになる場合があります。
・故障を避けにくい・故障が治りにくい ・トレーニング中断をしやすい ・プレッシャーを受けやすい ・モチベーションの上下が激しい ・長期間のパフォーマンス維持が難しい
“勝利“と”結果“に執着することは、高い集中力を発揮する反面、不安やプレッシャーというネガティブな要素が良い要素をすべて飲み込んでしまうような危険も併せ持っている。
② の傾向の選手
どのような練習環境においても“最も自分の身の丈に合っている”と思えるトレーニング計画に執着する。低~高負荷の様々なトレーニングで長い年月をかけて少しずつ前進していく傾向にある。
こういった選手の場合
・競技を楽しめる ・自分を客観視できる ・周囲と比べすぎない ・飽きない
といったようなスポーツを取り組むうえでのその選手の性格の根底にあるものが求められます。
このような選手の競技力向上の妨げになる要因としては、
・限界を超えようとしない ・自分の限界を低く見積もっている
・成長度合いは外部や他者の介入ではなく、その選手の内面や根底にある競技への考えにゆだねられる
“スポーツを楽しむ自分”が中心にあるため、切迫感や緊迫感などの心理的負荷が少なく成長の度合いは緩やかである。しかし“心理的な負担がない“ことは、”勝利“や”結果“に固執せずに自分の成長とスポーツを楽しむこと中心に考えるこころのゆとりができる。それは結果的に長いキャリアでの大きな成長に繋がることがある。
結果を求められるスポーツ環境では、“意識が低すぎる”・”志が低すぎる”・“我慢が足りない”ということが監督・コーチからよく言われます。
それはこうした選手の態度から、“限界を超えようとしない甘え”・“自分の限界値を早く見つけてしまう諦め”に対して言われているものだと思います。
“傾向と環境”
私たちは“競技力向上”のために必要なことを、多くのトップ選手やチームを見ることによって無意識のうちに決めてしまっている(それらを参考にしている)場合がほとんどです。
端的な思考や分析でいえば以下のようなことが考えられます。
“今話題のチームが行っている練習をすれば強くなる“
”あの選手と同じ練習をすれば同じくらいの結果がでるはず“
さらに外身に見えることだけでなく、その集団の生活を知ることによって以下のような印象受けることでしょう
“限界を超えるような練習を日々重ねている”
“あの選手・あのチームはストイック”
“トップ選手・チームとしてのプライドを持って生活する”
“ストイックさ、超一流の練習をしないと勝てない”
上記のようなことを、様々な場面で見たり、聞いたり、経験したりすることによって、
“彼らを模倣すること”が競技力向上の近道だと考えます。
また、そこにあこがれを持ち、その環境に飛び込んでみるということを多くの選手が選択します。
ジュニア期から“結果”というプレッシャーのもとにいる選手たちは、それが普通になっていて、自分の根底にあるスポーツの見方を見失いがちです。
そのため、若い選手をスカウトする監督やコーチはこういった選手の根底にある考え方まで考慮する必要があると思います。競技力が近い選手を集め同様の練習をさせるのであればなおさら、選手の深部にある考え方は重要です。
どんなに優れた競技力を持っている選手でも、“結果”のみを追求し過度のプレッシャーのもとで競技に取り組むことを嫌う選手も多くいます。逆に力はあまりなくても“結果”を追求し、それにすべての価値を見出すような選手もいます。そう言った心理を理解することもコーチングに必要とされています。
“スポーツのゴール”
競技力を高めようとする多くの人が上記の(トップレベルでストイックに取り組む)ような選択をしますが、その理由は、私たちはその先に見ているものがあるからです。陸上長距離でいえば以下のようなものです。
・ オリンピックで活躍したい
・ 全国大会で活躍したい
・ マラソンで2時間xx分で走りたい
こうした夢を持つ、目標を設定することによってそこへ向かう最短ルートとして競技に対する“厳しさ”を自らに課す傾向にあります。そしてそれは“厳しい環境の選択”・“厳しい競技生活”へと向かっていきます。
上記のような目標を達成した選手、その中で活躍している選手・チームは、前述した①の傾向の選手が多いように思います。①の傾向の選手が多数派であるからこそ、私たちは目標に近づくためにそちらを選択しているのだと思います。
しかし中には、①の傾向の選手が集まる場所ではうまくいかなかったが、そこを抜け出し②の傾向の選手が集まる集団に所属したり、その傾向に従って自ら行動したりすることによって、最短ルートで目標に到達、もしくはトプレベルへ駆け上がっていく選手も存在します。
“日本のスポーツ文化の影響”
日本のスポーツは古くから“根性・気合“という文化が根強くありましたが、最近では”効率的・科学的“というアプローチが主流になってきたように思います。
しかし日本の選手・チームの傾向としてはやはり①の傾向の選手・チームが多いように思います。それは国内のトップレベルに近づくほど顕著に現れます。
その要因として最も大きなことは、“ジュニア期からアマチュアの大会の注目度が高い”ということが考えられます。甲子園・箱根駅伝・各スポーツの全国大会では多くの人が熱いまなざしで応援し、メディアでも多く取り上げられます。それはプロスポーツとそん色ないほどです。
そうした活躍を期待する場合、特に団体競技でその舞台に上がるためには①の傾向のチームに所属しなければならないことになります。①の傾向のチームが“結果”を重要視しているため当然のことですがそうしたチームを選ばないのであれば、その時点で大会への出場や活躍は絶たれたといっても過言ではありません。
この日本のスポーツの構造は、強い選手・チームを各年代で作るうえで優れていると思います。それが各スポーツの選手層の厚さやスポーツ文化の発展に大きく寄与していることは紛れもない事実です。
しかし欠点もあり、①の傾向に合わせるために、実際には自分の意思を抑えている選手がいること、そして環境の色に自分を染めている選手も大勢いるということです。
つまり“ジュニア期からアマチュアの大会の注目度が高い”ことは“ジュニア期から結果至上主義”もしくは“結果が選手の価値”という評価を下されることが多い環境であるということです。
ニュージーランドのような人口の少ない国では、ジュニア期のアマチュアの大会の注目度は非常に低いです。こうした場合、アマチュアの主要大会で各選手の競技力に大きな差があることは珍しいことではありません。高校生の全国大会でも、周回遅れになるといったことはよくあり、強いチームが乱立し切磋琢磨することは少ないです。
そのため、ジュニア期の国全体の競技レベルを日本のようなスポーツ構造を持つ国と比較するとかなり劣っています。
しかし、スポーツを行う選手たちの多くの選手が②の傾向の選手であり、常に選択権を持って自分の意思で決定しスポーツを楽しんでいます。
それは“結果は自分がスポーツをしてみたら、そこに転がっていたもの。目的は結果ではなくスポーツを楽しむこと”という選手の深層心理にあるからだと思います。