※スポーツ報知より
世界初挑戦は69年11月、WBC世界フライ級王者トーレス(メキシコ)に敵地で判定負け。
世界戦は8戦1勝7敗で、敗戦はすべて判定。
唯一の勝利が、5度目の挑戦だった74年10月18日のチャチャイ戦だった。
相手は減量失敗で体重超過。
勝てば新王者という試合を6回KOで決めた。
「チャチャイが座り込んで泣いちゃった。
河合哲朗会長(故人)と抱き合って泣こうにも、驚いちゃって…。
俺、いじめっ子みたいでさ。泣くなよ、こっちが泣きてえよって。
俺は65試合やって涙を流したのは1回もない。
唯一のチャンスを逃したよ(笑い)」
忘れられない相手がいる。
72年3月4日、WBA世界フライ級王者・大場政夫(帝拳)に挑んだ3度目の世界挑戦。
後に23歳で亡くなる不世出のボクサーとは、ここまで1勝1分け。
38度2分の高熱をおして戦ったが、判定負けだった。
「気が強い男だった。
一発いいの入れると、2発、3発にして返してくる。
やられたままでは引かない。だから強いんだよ。
俺の挑戦を受けたのも、負け越したままでは終われないと思ったのかな?」
元WBA2位、元日本同級王者の松本芳明(金子)とは1敗1分けだった。
「同学年のライバルだった。
俺に勝ってランキング入りした松本は、スピーディ早瀬に勝って、俺より先に日本王者になった。
手数が出るボクシングだった。
昨年、病気で亡くなったんだ。
実に残念です」
ひときわ目立つ供花は友情の証しだった。