2年前の今日、こんなブログを書いてました。その一週間後にロシアがウクライナに侵攻しました。 | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

  立梅用水だから沿道には梅が植わっています。今朝も寒い空となりました。川面は空同様に凍っています。白い雲は風に吹かれて足早に東の空に去って行きます。この季節、一首の俳句を思い出すことがあります。

 

 

 海に出て 木枯らし帰る ところなし

 

 太平洋戦争中、山口誓子先生は伊勢で療養されていました。冬になると鈴鹿山脈から北西風が吹き下ろしてきます。鈴鹿おろしと呼んでいます。その木枯らしが海に出るともう帰るところはない。帰っては来ない。

 

 津市にある香良洲飛行場には予科練が置かれ、ここを出た隊員は神風特別攻撃隊として全国の基地に配属され、海に出て行きました。片道燃料、彼らは帰ることはありません。その近くには河津桜が美しく咲くところがあります。敵艦に体当たりして花と散る。花を自分たちに重ねていたのでしょう。

 

 上の画像は、雪をいただいた鈴鹿山脈の峰々が見えます。そこから鈴鹿おろしが吹いてきて、伊勢湾に直行します。伊勢湾は湖のように見えています。その伊勢湾を吹き抜けていく木枯らし。もちろん木枯らしは帰るところはありません。

 

 先生は若者たちがそのようにして空に飛び立っていくことに心をとめておられたようです。命をかけても国を守る特攻隊員への武運長久なのか、それとも彼らをそこまで追いやった時代への深い苦悶なのか、それは分かりません。この一首は、先生の祈りのようなものなのでしょう。寒くなり、木枯らしが吹く頃になるとふと思い出される一首です。

 

 祖母は先生にお茶を送っていました。深蒸し茶はおいしいと喜んで飲まれていたようです。ある日、教科書で先生の俳句を学びました。そのときの授業のことはよく覚えていません。でも、この十七音だけは自分の頭の中に刻み込まれていました。木枯らしに戦争が読み込まれていると知ったのは大人になってからです。

 

 俳句は十七音から読み取れ。時代背景や下手な自然科学の知識は読みをゆがめる。そんな声も聞こえてきそうです。でも、自分の力では先生のお気持ちをおもんぱかることは到底できません。香良洲飛行場の上を飛んで、初めて先生の一句が予科練の若者たちが見た光景を詠んだものだと気づきました。こんなに鈴鹿山脈と伊勢湾は近かったのか。確かに鈴鹿おろしが吹いてきたら、伊勢湾にすぐに吹き降りてくる。木枯らしはとどまるところがありません。地上に住んでいる自分には見えない視野が先生には見えていたのでしょう。それほど先生は特攻隊員の心情に限りなく近づこうとされていたのでしょう。戦争が終わって77年に近づこうとする今日、この一句は鎮魂と平和の大切さを昨日のように伝えています。

 

 何と早い雲行きでしょう。梅の林の上を海に向かってまっしぐら。

 

 今が盛りの梅の花。いつもの年なら暖かい日も春なのに、容赦なく寒風が吹きすさびます。

 

 一輪ひとひらが美しい梅の花です。水路の傍に植えられた梅は美しいです。

 

 

 予科練があった香良洲飛行場跡を飛んでみました。隊員たちはこんな風景を見ていたのでしょう。雪をいただいた鈴鹿山脈は目の前にあります。あそこから鈴鹿おろしが吹いてくる。確かに木枯らしが伊勢湾に出れば、もどってくることはありません。

 

 この記事はに2022年2月18日のもので、その一週間後ロシアがウクライナに侵攻しました。山口誓子先生が今を見られたらどんな一句を詠まれるのでしょうか。