カメラレンズから見た2000秒の1の世界から見えた世界とは? | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 2月3に吉野山の金峯山寺で行われた採灯護摩の風景です。いつもならビデオを撮ってYouTubeにアップするのですが、今年は静止画も撮りました。2000秒の1の世界はどんな景色が見えるのでしょうか?


 この風景は採灯護摩も護摩木が焚かれた後半部分です。山伏達は燃えさかる火を柄杓で水を掛けて抑えます。

 

 そして、風向きが変わるごとに煙が採灯護摩を主宰する管長猊下に掛からないように扇いだり、火が下火にならないようにふるまいます。水を掛ける山伏も団扇で扇ぐ行者も護摩壇の炎で体は真っ赤っか。心は空っぽで無心でなければこんな激しい炎の中に入ることはできないでしょう。

 

 炎の向こうに映し出された読経をする面々、真言を唱える参拝者、どの顔ももはや無我の世界に入ってひたすら祈りに専念する姿がありました。結界縄が張られた聖なる空間は仏の世界に変わっていきます。修験道では即身成仏という概念があります。欲望の固まりのような煩悩多き人間が、生きたままで仏になれるのか? 自分はそのことに対して懐疑的です。しかし、カメラレンズで覗いた一瞬の世界は、それがひよっとしたらできるのではないかという想いを心の中に浮かばせます。

 

 採灯護摩が終わると福豆まきです。それにしても、手と手の数多のこと。我も我もと福豆を求めて掌を開いています。中には帽子を広げたり、段ボール箱を頭に担いでいる人もいます。以前は傘を逆さにして広げた人もいたようで、主催者のお坊さんがユーモラスに止めるように釘を刺していました。これを見るともう参拝者達は欲望の固まり。そう思うと面白くなってしまいます。中には当たりくじが入っていて一等は電動アシスト自転車とか。先ほどの採灯護摩の仏の世界はどこかへ吹き飛んでいって、もう境内は煩悩と欲望の嵐となりました。

 

 ある高僧が大峰奥駈修行が終わっておっしゃった言葉があります、「修行しているときだけがすべてです」修行が終われば打ち上げ会のようなものをするようなのですが、修験道では飲酒は許されています。参加者は飲んで食べて餓鬼道に陥るとか。奥駈道ではサポート車が入れないコースもあり、おにぎりと漬物だけで駈ける日もあります。完走した暁の反動はいかばかりか。

 

 もちろん、「大峰には死んで入る」と諭され、無事完走すれば再び生かされて社会に戻り救いの業を広めていくという神妙な側面はあるのですが・・・

 

 ここに、ありのままの人間の有り様、そして世界をそのまま受け入れてくれる懐の深さを感じさせます。事実、吉野山の街を歩いていると店々でそれを感じます。おもてなしの原点は吉野にあるのでしょうか?

 

 今日は紀伊半島では雨です。吉野では雨雲レーダーでは雪です。平安時代の文献では、「吉野は雪深いところ」と記しています。雪でまっ白な覆われた吉野山を歩いてみたいです。ここに来て見て触れて感じれば、俗界では思いつかないような発見があることでしょう。