昨日は吉野山の金峯山寺で行われた採灯護摩を動画を中心に紹介しました。今日は、立春です。暦の上で春なのですが寒い朝となりました。伊勢三山の白猪山は雪化粧の朝です。採灯護摩の開始は法螺貝の音で始まりました。
いよいよ始まります。周囲は結界のしめ縄で区切られ、聖と俗を分けています。私たちは俗の世界からカメラのレンズで聖の世界を切り取ろうとしています。破魔矢で護摩壇上を聖なるものに清めます。
くの字を着る行者さん、口上には「空の住み処なりけり」と言う言葉が出てきます。「空」とはいったい何なのでしょうか。2世紀のインドの僧龍樹菩薩は、彼の著「中観」で仏教に「空」の世界を打ち立てました。お釈迦さんは、仏教で中心的な思想である「無」や「空」の概念は説いていません。釈迦入滅後、700年も経って「空」の概念はナーガルジュナよにって説かれました。私たちは般若心経をお釈迦さんの最も中心的な教えだと思っていますが、これは龍樹がルーツになっています。
知の巨人哲学者梅原猛は、龍樹は釈迦の教えを否定し大乗仏教を始めたと言っているほどです。仏教はお釈迦さんの教えに始まり、ナーガルジュナの「中論」やその後様々な考えが深化発展していきました。それはアビダルマ倶舎論や唯識論として登場します。1000年も経ってもこれが仏教としてしかも経典として書かれ続けるのは驚異的なことです。
それに対し、キリスト教の教典「聖書」では、神の言葉に一言でも書き加えれば災いを、一言でも減らせば神の恩寵から取り除くという考え方があり、一語一語が絶対的な言葉で変更することを許しません。
それはそれとして、般若心経は世の中のものは絶えず移り変わるということを説いています。これを鴨長明は方丈記の中で「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみにうかぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と棲と、又かくの如し。」と表現しました。「空」とは言葉に表現しがたい概念なのですが、方丈記の例えは、何となく分かったような気にさせられます。
国軸山金峯山寺管長猊下が採灯護摩の題目を詠み上げられます。参列者は一同合唱。祈りに合わせます。
いよいよ護摩が焚かれました。煙は吉野山にまっすぐに立ち上っていきます。節分の朝、放射冷却で冷えに冷えた寒空は無風で、日差しは春を感じさせます。しかし、その空気感はなんと寒々としたことでしょう。
太鼓をたたき般若心経を唱え鐘を鳴らす山伏。一人ひとりの横顔がどこかで見たような仏像に見えてきます。山伏達に仏性が乗り移ったような錯覚に陥ります。
錫杖の鈴の音は境内にこだまし、清々しい音をしています。これなら護摩木の一つひとつの願いも金剛蔵王大権現様に届きそうな趣。
他の教派が圧倒的に男子が多いのに対して、金峯山寺の信者さん達の男女比は半々で、採灯護摩の役側も女性の活躍が目立ちます。採灯護摩に参加するにはやはり体力が必要なようで、ここ十数年来お年を召した女性はすっかり入れ替わったような気がします。男性も紅顔の美少年だった方は、髪に白い物がまじり鈴掛の色も変わり、修行を極めた大宿のような表情に。
護摩木が焚かれると炎が強くなります。それを抑えるために水を掛けたり団扇で扇いだり、一人ひとりの動きが渾然一体と鳴り、祭は最高潮に。
山伏達のお顔は紅潮して真っ赤っかです。大峰山を駆け巡り、厳しい修行を積み重ねてきたからこそできる祭なのかも知れません。
採灯護摩もいよいよ終盤近くなりました。金剛蔵王大権現様の眞言が唱えられます。
オンバサラクシャアランジャウンソワカ
金剛蔵王大権現は役行者が大峰山の山上ヶ岳の勇払岩で祈り出された神様です。役行者が祈っていると、初めは釈迦如来や弥勒菩薩、千手観音が現れました。しかし、その形相は優しく激しく混迷した世の中を救うことはできません。そして、最後に祈りだした神様が憤怒の形相をした蔵王権現様でした。釈迦如来は過去を、千手観音は現在を、弥勒菩薩は未来を救済する仏です。その三位が一体となった神様が蔵王権現様でした。私たちが、蔵王権現に祈るとき、すでに過去も現在も未来も救われていることに気づきます。
採灯護摩は恙なく終わり、法螺貝の音で終わりました。節分時節、日本最古の天満宮には紅梅が咲いているのですが、今年の暖冬で梅の木も眠っているのでしょうか。まだ一輪も咲いていません。威徳天藤原道真が愛した梅は、まだ春を告げていません。
蔵王堂の次の祭は、花供懺法会です。その頃には桜が咲いていることでしょう。節分の次の日は立春ですから、春は花供懺法会の爛漫の季節に繋がっています。
それにしても面白いのは採灯護摩に鬼が登場することです。これを見るとやはり節分だったのかが分かります。「福は内、鬼も内」と福豆を蒔くのですから滑稽。「鬼は神なり」と言った神学者がいました。古代、人々は鬼を恐れ祭りました。鬼は人を守る者に変えられ神となりました。それが日本の素朴信仰です。
ちなみにキリシタンの世紀にイエズス会のルイスフロイスは、「日本史」の中で次のようにローマに報告しています。吉野の山深いところには行者が住んでいて人とは交わらない。彼らは悪魔の祭祀を司り、悪魔と交わっている。彼らがやってくると疾風のごとくである。パードレ達の日本研究はたいした物ですが、修験道を悪魔呼ばわりするとは。確かに金剛蔵王大権現様の形相はまさしく西洋人には悪魔に見えたことでしょう。しかし、混迷した世の中、欲望にうごめく人々を救済するには、力ずくでも悟りに導くには憤怒の形相でしかなかったのでしょう。そんな人間の実像をあぶり出せば、役行者が祈りだした金剛蔵王大権現は、それにふさわしい形でした。
20世紀は戦争の世紀でした。世界を見渡しても人間は20世紀の歴史に学ぶことをしません。新しい世紀は平和の世紀の思いきやその初頭で戦争が始まりました。報復は報復しか生みません。例えは相手を絶滅しようとしても恨みは残ります。それは子孫に受け継がれ新たな憎しみを生み、必ず次の戦いに繋がります。
自分が忘れられないのは、アメリカがクエートに侵攻したイラクを攻めたとき、日本の宗教界で唯一イラク戦争に反対したのは金峯山寺でした。他の宗教団体は、イラク侵攻に対しては概ね肯定的でした。なぜ修験本宗だけが反対したのか。それはイラクのクエート侵攻を認めたわけではありません。戦争自体に反対したのです。そして、イラク戦争後、アメリカはイラクが細菌兵器を持っていないことが分かりました。アメリカがイラクに侵攻した大義名分は見つけることができませんでした。
ロシアがウクライナに侵攻しています。中国では東シナ海を我が物にしようとしています。このような独裁的覇権主義、武力で原状を変えようとすることには反対します。しかし、なぜ彼らがそんな政策を採ろうとするのか。そこには必ず考え方があり、大義名分があります。北朝鮮が核実験を行い、頻繁にミサイルを日本海や太平洋に撃ち込んでいます。それは日本の脅威であり、意義を申し立てるのは当然なのですが、彼らには彼らなりの考えがあってのことです。
そのような考え方の是非を問うのは当然なすべきことなのですが、その価値観を一歩置いて、彼らの考え方、底流に流れている考えや背景を知ることは大切なことです。それを深く理解すれば、次の対話に進めるような気がします。管長猊下のお言葉に、「世界平和」がありました。独裁的覇権主義の国々と相対することは私たち欧米や先進国などの自由主義陣営が広く行き渡っている概念です。私たちの大義名分は民主主義です。しかし、相手の国から考えればそれは、新しいナチズムと考えられていることを忘れてはなりません。どうして、そうなるのか、考えられないことですが、それを知り理解することは大切なことだと考えます。人間の個体一つひとつは、小さな宇宙です。そして、人それぞれ考えを持っています。これが国家という集合体になれば、意見や考え方の相違があるのはごく自然のことなのでしょう。
このように考えてくると、仏教では「唯識」という言葉で説明することかができるかも知れません。唯識はフロイトが考えた精神分析のような物です。と言っても唯識はあくまでも道を究めるものであり、悟りを開く一つの手段に過ぎません。人間の無意識の姿を映し出す、無意識どころかさらに奥深い人間の有り様を探り出そうとします。ひょっとしたらどうみても敵対する、対話をしようとしても話にならないような相手であろうが、そこにはその人の考え方、生き方、有り様があるのでしょう。それを理解しようとするとき、新しい何かが生まれるような気がします。
それはもはや対話と言うよりも祈りのようなものなのかも知れません。ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎さんは祈っていました。彼の祈りとは一日のどこかで集中することでした。何に集中するかでもありません。無心に思うこと。それはひよっとしたら「空」や「無」の境地になることなのかも知れません。
節分は季節の変わり目です。その変わり目の日に、私たちは考えることがあります。祈ることがあります。そして、想いを馳せること。それが人の背中を一歩押し出します。吉野山の節分会からカメラレンズで見えた世界でした。