災害に備えるとはどんなこと? | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

1 地震はなぜ起こるのか?

 

 2016年、熊本で地震が起こりました。地震はなぜ起こるのでしょうか。赤い線は中央構造線で断層です。宇宙から見てもよく分かるのは、和歌山県の和泉山脈から四国の讃岐山脈、佐多岬半島を横切るまっすぐに伸びた中央構造線です。中尾構造線上にはなだたるパワースポットが点在しますが、それはそれとして・・・。

 

 これは中央構造線が露出した物です。右下には黒色片岩と言って黒色の紙のように薄く砕ける岩があります。その上にはマイロナイトという茶色をした岩が乗っかっています。さらに花崗岩へと続きます。花崗岩は結晶が荒いので建築材料として使われています。御影石のような美しい岩です。ここは奈良県と三重県の県境松阪市月出に見られるものです。この中央構造線、毎年、少しずつ動いているようです。奈良県の高見山から西の中央構造線は1000年で5m動きます。つまり、毎年5mmずれているということ。ずれるということは、莫大なエネルギーが地中にため込まれていると言うことです。中央構造線は千年に一回動きます。こ断層が動いたとき、蓄積されたエネルギーが放出されるとき地震が起こります。今から400年前の慶長年間に起こった伊予・伏見地震です。

 

 これは、三重県の中央を東西に流れる櫛田川です。橋の中央には茶色のマイロナイトがあります。この手前は黒色片岩しかありません。マイロナイトは400mほどの幅があり、その北側は花崗岩です。黒色片岩と花崗岩は全く別のものです。マイロナイトを見れば、そこは中央構造線のマーカーだということもできます。櫛田川は、マイロナイトを中心に南側に黒色片岩、北側に花崗岩が分布します。今もずれ動く中央構造線、日本列島は南北に引き裂かれつつあると言うことができます。でも、これは日本列島ができる造山運動でもありました。私たちはこの上に住まわせてもらっているのですから。

 

 どうしたら地震から身を守ることができるのか。地震を克服するにはどうしたらいいのか。この風景を見ていると、克服するなんて人間にはとうてい無理なような気がしてきます。なんとか地震をなだめて、すかして、地震列島の上でどう生活したらよいのか。それは、自然と共生するお作法のようなものに見えてきます。そのお作法が分かれば、災害を最小限にくいとめることができるのでしょう。今も動き続く中央構造線。人には計り知れないエネルギーを今日も蓄えています。その中で私たちは、何ができて何をすべきか、ここから深く学び取りたいと思います。

 

 令和6年能登半島地震を起こしたのは活断層で熊本地震を起こしたものと同じ要因です。ただ能登半島には中央構造線のような物はありません。2023年5月にもこの断層は大きなずれを起こしています。ここ一週間の震央分布図を見ると能登半島とその沖東北東方向佐渡島にかけて150km程で地震を引き起こしていることが分かります。この付近には沢山の活断層があり、しかも地下水のような流動体が断層のずれを引き起こしやすくしている考えられています。しかも地震が起こってからわずか五日間で510回もの地震が起こっています。これは昨年一年間で起こった地震の約2倍に相当します。気象庁がここ数ヶ月は最大震度7の地震が起こる可能性があると言っているのも頷けます。

 

2 何に備え、起こったらどう行動するのか?

 

 群馬大学(現東京大学大学院教授)の片田敏孝先生のお話を聞いたことがあります。先生は、釜石市や尾鷲市で子供たちに防災教育をしている方です。その成果は、東日本大震災の当日に「釜石の奇跡」として生きました。講演の題名は「想定外を生き抜く力 大津波から生き抜いた釜石の子どもたち、その主体的行動に学ぶ」です。2時間のお話の中で皆さんにも伝えておきたいことがあったのでメモしてきました。それは避難の三原則です。

 

 1 想定にとらわれるな。
 釜石市が作成したハザードマップ(危険箇所を示した地図)では、赤や黄色で塗られていた危険箇所に住んでいた人達は避難して無事だった。千人の死者行方不明の大半は危険箇所に指定されていなかった所で出た。どんな規模の災害になるか分からない。

 

 2 最善を尽くせ。
 何が起こるか分からない。安全なところはどこにもない。自分がより安全と考えるところまで逃げるだけ。津波なら少しでも高いところに避難する。これで助かるという保障はない。やるだけのことをやる。

 

 3 率先的避難者であれ。
 自分が生き残らないと、他の人を助けることができない。自分が逃げれば、みんなも逃げる。釜石の子どもたちは、親が迎えに来るのを待たなかった。家の人も必ず避難していると思って逃げた。お互いを信じ合っていたから、どちらも助かった。

 

 3月11日、そのとき子どもたちはどう行動したのでしょうか。左下の地図は釜石市鵜住居(うのすまい)地区です。駅から河口に近いのが中学校です。地震が起こると教頭先生がマイクで避難を呼びかけました。そのときには、もう中学生達は避難を始め、近くのお年寄りに声をかけながら走っていく姿が見えたと言います。中学校よりも標高が高い小学校は耐震性の新しい校舎です。しかも、ハザードマップでは安全地帯でした。中学生は小学生に声をかけて一緒に避難しました。さらに標高が高い「ございしょの里」の高齢者の方にも声をかけて、一番上にある「やまざき」の作業所に避難しました。その30秒後、中学校も小学校も、下にある社会福祉施設も津波に襲われました。ハザードマップでは全部安全地帯と考えられていた場所です。最後に逃げてきた子どもたちは足元をすくわれそうになったそうです。こうして600人の子どもたちは助かりました。子どもたちは、自分から判断して行動しました。ここなら安全と気を抜かないで、できる限り高いところに避難しました。これが「釜石の奇跡」を生みました。それでも5人の子どもたちがなくなりました。当日欠席していた子ども、早退した子ども。もう一人は、リヤカーでお年寄りを助けに行った一人の中学生です。
 片田先生は、これでよかったのか、正解はないと話されました。600人の子どもは助かった。でも、5人の子どもは津波の犠牲になりました。しかし、子どもたちは、よく生きた。そのとき、できる限りのことをした。この教訓を、これから全国の街で生かしていきたい。片田先生は尾鷲にも十年ほど関わってみえます。災害の犠牲者をゼロにするまで、研究を続けると仰いました。
 南海トラフの巨大地震が起これば、マグニチュード9の地震が起こり、
尾鷲には17mの津波が来ます。そのとき、私たちはどう行動するでしょうか。想定にとらわれないこと。安全と言われていても、安全なところはどこにもない。その時は、その時で最大限のことをやる。とにかく逃げること。自分が生き抜いて助かること。すべては、そこから始まるのだと思いました。

 

 これを熊本地震に当てはめると、どんなことが考えられるでしょうか。今から400年前に伊予伏見地震が起こっています。愛媛県の佐多岬半島の北側から讃岐山脈、さらに東には和歌山県の和泉山脈まで一直線に並ぶ断層があります。これが中央構造線です。中央構造線は千年に一回程度動きます。伊予伏見地震はこの中央構造線が動いたと考えられています。中央構造線は佐多岬からさらに大分・熊本へと南西方向に点在する活断層に続いています。

 

 直下型地震では、他の活断層を刺激して新たな地震を引き起こすことが、今回の熊本地震で分かりました。また、従来は強い地震が起きたらあとは余震になって収束していくと考えられていましたが、さらに強い地震が起きるという前震・本震という概念が広く知られるようになりました。

 

 気象庁のホームページを見ると、震源地から北東方向へ、南西方向へ震源が広がっているのが気になります。これが中央構造線に飛び火していけば、南海トラフの巨大地震につながることも考えられます。伊予伏見地震から400年、中央構造線が動くのはあと600年あると考えないで、いつ起こるか分からない巨大地震への備えをしていかなければならないと思いました。東海・東南海・南海地震は三つが連動して起こることがあります。1944年に起こった東南海地震は、尾鷲市街に多くの災害を与えました。東海地震が30年以内に起こる確率は、70%です。明日の降水確率が70%なら、必ず雨傘を持っていくでしょう。

 

 今回の令和6年能登半島地震も何の前触れもなく起こりました。熊本地震も同様です。東日本大震災を予知した人はいませんでした。このような震災が起こったとき私たちはどう対応するのか? 「想定にとらわれるな。最善を尽くせ。率先的避難者であれ。」この三つの言葉を心にとめて、備えをしていきたいと思います。