今夜は伝統的七夕の日も早2日経ちました。明治時代になり太陽暦が採用されて7月7日に七夕が祭られるようになりました。この時期は梅雨のまっただ中です。しかも、8時頃と言えばまだ天の川が東の空にあります。だいたいは今夜も雨で七夕様は見られなかったというのが落ちです。明治以前は旧暦に七夕祭りがされていました。天文シミュレーターでコンピューターグラフィックスを描いてみると、私たちが頭に浮かぶ七夕の空です。
天頂付近に天の川を隔ててこと座のベガ織り姫が、わし座のアルタイル彦星が瞬いています。それをはくちょう座のデネブとで夏の大三角形をつくっています。これぞ七夕祭りの星座の位置です。やはり七夕の夜は天頂付近に天の川があってほしいものです。
雨が降ると天の川が増水して織り姫も牽牛も渡ることは出来ません。そこで鵲がやって来て翼の橋を作り、2人を合わせます。奈良時代に山上憶良が七夕に寄せてこんな短歌を詠んでいます。
霞立つ 天の川原に 君待つと い行き帰るに 裳の裾濡れぬ
スターダストをまき散らしたような天の川銀河、小さな星々は憶良の詠んだ霞のように見えます。あなたはいついらっしゃるのでしよう。今か今かと河原を行ったり来たり。もう帰ろうかとさえ思ってしまうほどあなたはいらっしゃらない。そのうちに腰にまとった衣の裾が露に濡れてしまいました。
奈良時代、夜は漆黒の闇の中です。提灯など光はありません。お相手もどこにいるか分からない闇夜です。今なら昼のように街は明るく、スマホで位置情報を共有していたら準天頂衛星のみちびきが15cmの誤差でお互いの位置を教えてくれます。2人が橋で逢うとしても橋の真ん中か柱の何本目かまで分かってしまいます。30秒遅れたからと言って食事をおごらされることもないでしょう。
位置も時刻も分からないから2人はなかなか逢うことが出来ない。そして、今か今かと裾がぬれるまで待っているのです。万葉集では夜が明けてしまうまで待っていたという歌が多く詠まれています。夜露に全身が濡れても待っているのです。それは私たち現代人が感じなくなった不確かの中の高揚感です。分からないから自然や人間への繊細な感性が研ぎ澄まされているのでしょう。
三重県松阪市に星合町という所があります。ここは渡来人が奈良時代から七夕祭りをしていたところです。「それって全部三重なんです」のキャッチフレーズで全国に宣伝していますが、七夕祭りも早くからここで行われていました。
ここ星合町に波氐神社があり、多奈波多姫が祭られています。祭神は織り姫なのでしょうか。星合いなので七夕姫と牽牛がお会いするところなのでしょう。
鵲小学校の手前にあるのが鵲橋です。七夕の夜、雨が降ると鵲たちがやって来て翼を広げて2人の橋渡しをするのが赤い小さな橋です。現地に行ってみると何だこんな小さな橋かと気抜けするかも知れません。これなら助走をつけて跳べば相手のところまで行けそうです。それはそれとして、この時期の夜空は典型的な七夕の世界が広がっています。西の空には春の大曲線が残っており、天頂には夏の大三角形が、東の空には秋の四角形が昇ってくるという、しかも夏の星座の明るい星々が煌めいており、スターダストをまき散らした天の川、南天には土星が上っており、1年で最も見やすい衝をまもなく迎えます。月は南西に架かっており、月齢も7.7なのでこの月明かりなら一等星ならそこそこ見えるでしょう。
ベガとアルタイルの太陽系からの位置関係はこんな感じになります。四次元宇宙ビューアーで今夜8時の位置を描いてみました。ベガが明るいのは相対的距離が地球とかなり近いことが分かります。このベガですが1万年後には北極星になります。地球の地軸はいいかげんなので経年変化で地球からの見かけの位置が変わります。
例年だと美しい星空が見える今日なのですが、紀伊半島は大気の状態が不安定で星一つ見えません。ちなみに織り姫星のデネブと彦星のアルタイルは16.8光年なので光の速さでも17年ほどかかります。