台風が紀伊半島に上陸して、ふと小林一茶の俳句を思い出しました。
寝むしろや 野分に吹かす 足の裏
寝むしろとは、わらなどを編んで寝床に敷くマットのような物です。野分とは秋に吹く大風。台風です。寝むしろを敷いているのですから、綿の敷き布団ではないようです。木綿でもせんべい布団のように綿の少ない薄い物でしょう。そこに寝ている一茶の足の裏を台風の風が吹いていく。足の裏が出ているのですから短い掛け布団です。粗末な庵なので風も部屋に入り放題。必要最低限の物だけで生活していた一茶にとっては日常の風景です。今で言うならエッセンシャリストと言うべきでしょうか。
野分の思うままに自分の足の裏を吹かせているのですから、面白みさえあります。と言っても貧しさの中にあったわけではありません。これが一茶流の生活様式、生き方だったのでしょう。ここには無常観さえ漂っています。
ある日、一茶の菩提寺の住職の息子が亡くなりました。住職もその妻も声を上げて泣きました。すべてのものは移り変わる。無常なこの世にあって、人目もはばからずに泣くのは悟りを説く住職としてはいかがなものでしょうか?
後に、一茶は娘を亡くします。妻はおいおい声を上げて泣きました。一茶は妻を何とかして慰めようとします。流れ出た水は元に戻ることはないし、散った花は再び梢にもどることはない。菩提寺の住職さえあんなに声を上げて泣いたのだから、まして、凡人の私たちは泣くのは当たり前、諦められないのは当たり前。
私たちは、悲しいことや苦しいこと、諦められないことが起こるとき、我慢していないでしょうか。大切な人、愛する人を亡くしたとき、住職だから、○○だから、弱さを見せることは恥ずかしい。そんな心の声が聞こえてくることがあります。悲しいときは泣く方が後に残りません。悲しみを抑え込んだとき、後を引くことがあります。
一茶の俳句の底に流れているのは、無常観であり諦念です。この一句には、単にあきらめというよりも、悟りに至った一茶の孤高の境地が見られます。一茶の道程ですべてのことを真剣に対峙して、それをありのままに受け入れてきたからこそこんな表現ができたのだと思います。
「野分立ちて・・・」この「野分」と言う言葉は、源氏物語を初め様々な日本古典文学に登場します。「野分立ちて」に続けて、夕方には雨風も多少やんで昼顔が咲いていました。風が吹いて、雨がたたるとしぼんでしたのに、少しのチャンスを見て花びらを広げていました。
風が吹き雨がたたるときは、大いにしぼんだ方がいいと思います。そして、風が凪いで雨が止んだらまた花を開ければいい。昼顔の花にそう思いました。