昨日(6月4日)、内宮で本物のおかげ犬がいた | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 昨日、内宮に行ったら本物のおかげ犬がいた。人形や縫いぐるみで見たことはあるが、生きているのが目の前にいるのは初めて。

 

 これは江戸時代の浮世絵。多くの人たちが参拝しているが、真ん中の左寄りに犬がいる。首輪の代わりにしめ縄を掛けてもらってバッグを提げている。

 

 江戸時代も後半になると人々は伊勢講を作ってお金を出し合って代表がお伊勢参りに出かけた。それでも貧しい村では代参もできない所もあった。そこで考え出したのは、人の代わりに犬が参拝するという方法。江戸時代に犬は里犬と言ってその地域で飼うことがしきたりだった。犬を捨てたりいたずらするだけで捕まった。

 

 つまり、犬なら里から里まで移動しても、行った先で餌を恵んでもらえるという社会だった。しかも、首にしめ縄を掛けて袋を持っていたらこの犬は伊勢神宮にお詣りに行く犬だとすぐに分かる。おかげ犬を助けた人はお伊勢参りをしたのと同じ御利益に預かれたらしい。人々は宿場から宿場へリレー形式でおかげ犬を伊勢まで導いた。

 

 

 さすがに今はおかげ犬は、赤福のおかげ犬サブレになっている。このお菓子、1ヶ月ぐらいは持つのでお土産にいい。軽いし長持ちするし、第一美味しい。

 

 そんなのウソっぽいけど本当の話。四国や東北からも来ていたらしい。

 

 阿波国(徳島県)に、おさんという犬がいた。さんは、抜け参りをする子供たちとお伊勢参りにきたが、途中ではぐれてしまった。今の伊勢市にある返馬餅の主人が可愛そうに思い、餌をやって元気になったので送り出した。犬は宮川を泳いで無事伊勢神宮まで着いた。神宮の御札をもらったおさんは里から里で歓迎を受けて無事阿波国に帰ることができた。

 

 この話だけならにわかに信じられないけど、東北にも同じような話があり、もっと近いところでは史料が多数残っている。

 

 将軍徳川綱吉が出した生類憐れみの令で、犬は生まれたら必ず死ぬまでその里で面倒を見ることが決められていたこと。交通手段が徒歩と馬だけだったこと。この2つがおかげ犬の代参を実現した。それほど人々は伊勢神宮にお参りしたかったのだろう。

 

 しかし、明治になって交通手段が便利になり、犬は登録制で個人が飼うことになり、おかげ犬は消えていった。それにしても本物がいるとはびっくり!