大杉谷から大台ヶ原へ | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 日本一雨が多いという大台ヶ原。民家がないので水が美しいのはこの上ない。大台ヶ原に降った雨は宮川など伊勢湾に注いでいる。川底が丸見え。

 

 絶壁をくりぬいた回廊の向こうに滝が見える。年間雨量3500mm、一年間で400日雨が降るという。それも500円玉大の雨が降る。雨粒ではない。棒雨という雨が棒の形をしているという。そんな激しい雨が、花崗岩を浸食しこのような山と谷の絶壁の地形を作り出した。

 

 太平洋からの湿った空気が大台ヶ原という絶壁にぶつかる。すると濃い雲ができて土砂降りになる。雨が粒でなくて棒状とはどんな雨なのか。この雨はいつぽん多々羅という妖怪が降らせるという。一度雨の中の森に紛れ込んだら帰っては来れない。

 

 春夏に雨が多い地域なら大台ヶ原以外にもある。しかし、大台ヶ原は冬にも雪が降る。秋から冬にかけて強い北西風が吹くと日本海からの湿った空気が雪を降らせる。年中雨と雪にさらされる大台ヶ原。

 

 大量の雨は、豊かな広葉樹の森を育む。亜熱帯から寒帯までの植生の森は、栄養の宝庫。木々は育ち、朽ちる。春につけた緑の葉っぱは、秋には紅葉して葉を落とす。地に落ちた葉っぱは虫やバクテリアが食べて有機物に分解される。雨が、雪解け水が深い渓谷に流れ落ちる。日本一綺麗な宮川の水は伊勢神宮の傍を流れ、伊勢湾に注ぐ。一方、分水嶺の南には銚子川が熊野灘に流れている。銚子川は河口まで民家の汚水が流れることはない。伊勢湾の海水が満潮時には銚子川に流れ込む。地元の人が「ゆらゆら帯」と呼ぶ汽水域が生まれる。清流四万十川でさえ河口には汽水域は見られない。大台ヶ原の清流がみんなの汚水を入れることなく直接海に注ぐからだ。銚子川のほとりにある牡蠣は絶品。身が大きい。大台ヶ原の自然が栄養を吸収して育つからだ。

 

 三重がなぜ「美し国 うましくに」と神話の時代から呼ばれたのか。大台ヶ原の豊かな水が伊勢エビや鯛やアワビを、ワカメや海苔を作る。フランス料理で唯一生で食する牡蠣は、的矢の牡蠣から始まった。贈り物につける熨斗は、もともとアワビを干して紐状にしたものが原型になっている。山と海は直接つながっているのだ。山が豊かなら海も豊かになる。

 

 かって北海道の名付け親松浦武四郎がここを探検した。江戸時代末までニホンオオカミが生息していた。その剥製は大英博物館に展示してある。昭和の時代にもオオカミの遠吠えを聞いたという噂もあった。それほどここは人を寄せ付けない秘境なのだ。絶滅したオオカミの代わりに鹿が繁殖した。低く刈り取られた芝生のような笹は鹿が食べたもの。本当は笹で生い茂った森が自然なのに。

 

 牛石ヶ原は海底地形。今も大台ヶ原は隆起している。そこに立つまっ白な立ち枯れ。大台ヶ原原生林の象徴に見えるが、この立ち枯れは昭和の伊勢湾台風が森を枯らした。一週間で1000mmも降った雨と暴風が白骨の森に変えてしまった。

 

 大杉谷ルートを遡行するとビルのような岩が転がっている。平成の大雨が1平方メートル当たり数百トンの水圧が掛かり、山を崩壊してしまった。山体崩壊の傷跡は各所に見ることができる。その中に小さな木の芽を生えている。岩に根を張り、やがて岩を砕く。森林再生は速くも始まった。

 

 奈良県側の大台ヶ原ドライブウェイを走れば山頂駐車場に着く。そこから1時間も掛からず難無く山頂を踏むことができる。深田久弥の日本百名山としては最も踏破しやすい山の一つだと言われている。

 

 ところが、三重県側の大杉谷からはこのとおりの絶壁の切り通しをひたすら登らなくてはならない。滑落すれば数十メートル止まることがない。毎年犠牲者が出ている。行方不明者は様々な獣が食べ、やがてスズメバチが肉を食う。そして、最後にバクテリアが分解してしまう。そんな死と隣り合わせの果てには、桃の木小屋のご馳走が待っている。疲れた体を癒すには熱いお風呂。行く先々で美しい滝を見ることができる。

 

 今ならシャクナゲが美しい。シャクナゲの赤いトンネルを越えて、かって海底だった牛石ヶ原などを越えていくと東大台を回ることができる。西大台は1時間のレクチャーを受けないと入山できない。

 

 大杉谷からは亜熱帯から亜寒帯までの植生を楽しむことができる。神話の時代から三重は海の幸山の幸が豊かだった。それは大台ヶ原の自然の豊かさに寄るところが大きい。死と隣り合わせの大杉谷を踏破して大台ヶ原の最高峰日出ヶ岳の山頂を踏んだら、生まれ変わったような境地になるだろう。それは漆黒の死の谷を歩いた者が、闇を突き破って光の世界に出たようなものなのかも知れない。

 

 なぜ人は大台ヶ原を目指すのか。ここに来れば見て聞いて触れて感じて・・・。危険の隣り合わせに言葉を越えた歓喜があるから。自然が厳しければ、自然はその美しさを余すところなく見せてくれる。

 

 朝は晴れていても午後はまっ白なカーテンに包まれ、上下感覚がなくなる。上下感覚がなくなれば右も左も分からなくなる。そんな大台ヶ原こそ、本当の大台ヶ原なのだ。雷が左から右に横に落ちる。木も草も自分の体も高圧の電気で帯電していることが分かる。やがて棒雨が降り出し、当たりは水の中になる。雷が過ぎれば、一気に青空がのぞき、尾鷲の入り組んだ海岸線が見える。大台ヶ原はやんちゃな山なのだ。