雨が上がると! | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 雨が上がると白猪山の空の上から青空が見えた。棚田には谷からの水がやってきて、水田を一面を覆った。冬から雨が降らないのでカラカラに乾いた大地は息を吹き返した

 

 おじさん達が一斉に水田に繰り出す。満水の棚田を田植前の支度が始まったのだ。半世紀前、田んぼには黒毛和牛が鋤をつけて耕していた。黒毛和牛は松阪牛となり、この田んぼにはいない。牛は黙々と田んぼを泥田に変え、たまに糞をまき散らす。有機肥料入りの田んぼは豊かに実り、米のお味は絶品になる。

 

 牛が歩いた後にはアメンボがすいすい泳いで、トノサマガエルが畦の高台に登って偉そうに鳴き声を上げた。

 

 秋は刈り取られた稲はハザがけをして天日に干す。灯油で乾燥したお米とは大違い。太陽の光が甘みを凝縮する。お爺さんもお婆さんも、お父さんもお母さんも、子供たちも家族で収穫を楽しんだ。脱穀された稲わらは最上のベッドになる。

 

 夜明け前になると羽釜が湯気を噴いている。薪の燃える香りと天井は煤で真っ黒。羽釜から立ち上る湯気には甘い香りが台所に満ちで一気にお腹が空く。お塩と海苔巻きだけのおにぎりはどんな食べ物よりも美味しい。

 

 半世紀後、ここはどんな風景が広がっているだろうか。春にはトラクターが田鋤をしているだろうか。秋にはコンバインが収穫しているだろうか。

 

 雨上がりに抜けた青空に半世紀前の風景を思い出した。雨上がりの抜けた青空に半世紀後の風景を思い描いた。いつまでも自然が人がここに残って欲しい。

 

 田植を詠った芭蕉の一句がある。

 

 風流の 初やおくの 田植うた

 

 松尾芭蕉の紀行文「奥の細道」で、白河から那賀川を越えたところで詠んだ一句だとされている。ここからは磐梯山が見え阿武隈川のほとりに旅して、いよいよ陸奥旅も本格化する。太陽活動が低調になった元禄時代、6月初旬とは言えまだ寒々としていたのかも知れない。今では田植えは4月下旬に行われる。地球に小氷河期が訪れていた芭蕉にとっては、やっと来た遅い春と言っていいのかも知れない。

 

 人生を旅とした芭蕉にとっては、白河の関を越えてこれからが風流の世界が深まる兆しを感じ取ったのかも。明るい田植え歌が聞こえている。今のように田植え機で六条も八条も植えて、一気に早苗が田んぼを埋め尽くす。そんな光景とはほど遠い。一苗ひと苗、手で植えていく重労働。田植え歌が独特の呼吸法となって、長い重労働を支えている。

 

 今、この水田に田植え歌は聞こえないが、圃場整備された田んぼが変わらず残っている。人も米作りの方法も移り変わっても、ここに美しい田んぼが残っていることが大切なのだ。半世紀後、百年後、ここでどんな一句が詠まれるのだろう。やはり田植の一句であって欲しい。