今日は立春、春が始まります。暦の上では春ですが、まだまだ寒い日は続きま、とでも言いたいのですが、暦の通り本当に春めいた一日となりました。春の兆しを探しに野山に出ると果たしてネコヤナギが咲いています。陽光に銀色の毛を輝かせて、「春が来たよ」って言ってるみたいです。
田んぼのモグラは、地下深く穴を巡らせて、ドームをあちこちにてんこ盛りにしています。
松阪牛のふるさと「深野の棚田」が白猪山の中腹にあり、なんとも暖かそうです。あの鉛色の黒ずんだ冬の雲は吹き去って、窓にはお布団が干してあります。みなさん、春が来ました。春です!
昨日は節分で奈良県吉野山の蔵王堂に行ってきました。このブログでも笙の窟に籠もった日蔵上人が仮死し、太宰府に左遷された菅原道真と出会い、威徳天として祭るよう言われ、ここに天満宮を造営したことを話しまた。
日蔵上人が彷徨った冥界では、龍樹菩薩にも会っています。龍樹と言えば、2世紀のインドの仏僧です。ナーガールジュナと古代インド語では呼ばれています。彼は小乗仏典をわずか60日で読破し、物足りなくなり釈迦の教えを理論的に体系化しょうと試みました。仏達は彼に大乗仏典を授け、瞬く間に読破して、大乗仏教の始祖となりました。後に、中国の僧鳩摩羅什が龍樹菩薩と名付けたので、日本でもこの名前が知られるようになりました。
ややこしいことを書きましたが、龍樹菩薩は仏教に「空 くう」の概念を吹き込んだ人です。般若心経で「空即是色」と唱えますが、これはお釈迦さんの中心的な教えのようなのですが、実はお釈迦さんの時代には「空」の思想はありませんでした。お釈迦さんが涅槃に入った700年後に龍樹が考え出した思想です。
この「空」の概念は、彼の「中論」という本の中で大成された概念です。それは、存在や現象などあらゆる物は因果関係があり、その因果関係は縁起として説明でき、それ自身で独立して存在することはないと考えました。つまり、独立した不変のものはないことを理論的に証明し、これを「空」であるというのです。すべての物は移り変わる。それが「無常」であるというのです。常に物事は変化している。確かにその通りかも知れません。
修験道では、般若心経をよく唱えます。太鼓の音に合わせて唱えると蔵王大権現様の眞言とともに自然に体の中に入ってくるものです。その中に「空」がでてきますが、これも日蔵上人が冥界で出会った龍樹菩薩から直接授けられたものなんですね。京都の北野天満宮や太宰府天満宮と比べたら何と小さなことでしょう。それでも天満宮の元祖はここにあるので、何にも代えがたいパワースポットであることには違いありません。