今日は節分、明日は立春です。奈良県の吉野山にある金峯山寺蔵王堂では節分会が行われました。全国から鬼が集められ、境内でやりたい放題です。だれも鬼の横暴を止める人はいません。この後、鬼達は蔵王堂に集められ、参詣者から福豆を投げられて調服されます。鬼達は心を改めて仏の修行をする人たちのお手伝いをする者へと変えられます。鬼達は仏道に入ることを喜び、体を跳ねて踊ります。吉野山では、「福は内、鬼も内」と声を出して節分を祝うのは、鬼も仏道を守る存在だからなのでしょう。修験道は、この他には蛙跳び行事なども夏に行われ、何とも滑稽な行事が粛々と行われるのが、面白いです。
採灯護摩では弓矢が放たれ四方八方の邪悪を清めます。修験道というと山伏、圧倒的に男性が多いかと言えば、金峯山寺の修験本宗では男女の比率が半々です。年中行事でも女性の起用は必然のことなのでしょう。
管長が護摩を焚き始められました。修験本宗では様々な祈りがなされますが、最後に「世界平和」の文言が入っていました。金峯山寺は、かって湾岸戦争に反対したことがありました。もちろんイラクがクエートに侵攻したのをアメリカなどの多国籍軍がイラクを攻撃したという国際秩序を守るという大義名分はあったのですが、日本の宗教界は湾岸戦争反対には冷ややかな目を向けました。後に、イラクが化学兵器などの大量殺戮兵器はなかったことが分かり、アメリカがイラクを攻撃した名分は失われました。もちろん、武力で現状を変えることはどこの国であっても許されることではありません。まして、ある日突然他国の主権を侵して武力侵攻して、他国民を殺戮し、支配する。こんなことが許されるはずはありません。吉野山から発せられたこの祈りは、大義名分や正義という政治的なレベルを越えて、どこまでも戦争に反対し、平和を取り戻すことへの祈りでした。昨年の2月24日以来、そして、東アジアの動きを見ても私たちの祈りがどうあるべきなのか。ヒトとしてもっともプリミティブな問いに気づかされた瞬間でした。
吉野山の2月は寒さは格別です。空気までが凍りついています。一度、護摩木が燃え始めると境内は暑い熱気で覆われました。金剛蔵王大権現の真言や般若心経が大音声で唱えられ、太鼓の轟きとともに体を通り抜けていきます。
4月の花供懺法会や戸開式を初め二十数年来様々な祭典に参加してきましたが、若かった山伏の方も髪の毛に白い物が入り、鈴掛の色も赤に変わった方も多数いらっしゃいました。お年を召された温和な翁のお顔を拝見することはできませんでした。お元気でいらっしゃるのでしようか。
節分会が終わると、吉野山の街に繰り出しました。体が冷え冷えとしたので、お座敷から桜が見えるお店に入り、温かいかやくうどんをいただきました。お味は京風の薄味です。具だくさんでどれも美味しかったです。
定食なので、柿の葉寿司もついていました。ちょっとした精進料理のような感じでどこまでも上品です。
柿の葉寿司は、シャリの上にシメサバを載せて柿の葉で包んだ物です。柿の葉の殺菌作用で日持ちがするので、吉野のような紀伊半島の深奥の地では保存食として重宝されました。本当に食材のうま味が引き出され、シンプルな一品です。
帰りに夕食の代わりに桜井市にあるたこ焼き「あほや」に寄りました。お店の前に来ると、丁度シャッターが下ろされ、電気が消えました。これはついてないとイヤな予感がしました。次の中華屋のお店に入ると、何と廃業。次に道の駅のレストランに入ると、「今日はたった今、終了です」とつれない店員の声。三連発で食べ損ないました。最後にたまたま入ったお店がこれ。990円のエビフライ定食です。意気消沈していた気分は一気に膨らんで、お腹も膨らんで帰路につきました。終わり良ければすべてよしです。それに4年ぶりに節分会に行けてラッキーな一日でした。
金峯山寺蔵王堂で行われた節分会を10分の動画にしました。