三重県志摩半島の安乗灯台に来ました。
対岸は菅﨑 南東方向に岬が見えます。遠くには神島が、渥美半島が・・・
公園内にはフジバカマが咲いています。ひょっとしたらアサギマダラもいるのでは? 果たして、いました。
今日は風が強くて冬の様相。なのに、公園は風が凪いで小春日和。不思議!
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今日は映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台、三重県志摩半島の安乗崎にやって来ました。この映画の主題歌は、「おいら岬の 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の 無事を祈って 日をかざす」で有名になり、今でも歌い継がれています。
昭和7年、新婚早々の灯台守の有沢四郎は妻と観音埼灯台で暮らし始める。やがて北海道の石狩灯台で2人の子どもができます。長崎県の五島列島の先の女島灯台では夫婦別居になりました。弾崎灯台で太平洋戦争が始まり、多くの同僚を失いました。戦争が終わり、男木島灯台勤務の時、息子が不良とのケンカで刺し殺されます。人の一生というものはこんなにも過酷で苦しいことが多いのでしょうか。それでも静岡県の御前崎灯台の台長として赴任するとき、娘が結婚します。新婚の娘夫婦は海外赴任をするとき、御前崎灯台を通ります。灯台守夫婦は、「娘を立派に育てあげて本当によかった。灯台職員を続けていて本当によかった」と、涙ぐむシーンが出てきます。今夜も灯台のともしびを灯し、船長は汽笛で感謝の気持ちを表します。
さてこの安乗岬の灯台ですが、四角い形をしています。岬には白亜の灯台があり、いつも風が通り抜けています。今日は秋晴れの青空が広がっています。強い海風が吹き渡り、波消しブロックに激しくぶつかり、白い波濤を砕いては、怒濤のような音を立てます。強風の中を一羽のカモメが横切りました。小さな漁船が波にも負けずに的矢の港に一直線に駆け抜けていきます。
安乗岬はこのような強風と波濤で浸食されて細い絶壁となりました。その先端に灯台はありました。紀伊半島は南東方向から太平洋プレートが押し寄せています。そして、崖は南東方向に向かって細々とした幾重もの崖がせり出しています。さらにそれらが浸食されると海に没して岩礁となります。こうなると今日のような強風時には航路は危険極まりない海域へと豹変します。明治44年11月24日、駆逐艦春雨が遭難し、44名の殉職者が出ました。生存者はわずか20名。殉職者の多くは海軍の幹部クラスの人たちでした。かれらは水兵に命を託し、船とともに殉じました。岬の人々は命をなげうって救難活動をしたといいます。
灯台の公園は風がよけられまるで小春日和です。夏の名残を惜しむかのようにアザミが咲いています。冬の到来を告げるかのようにツワブキが黄色の花を咲かせています。公園の一角にはフジバカマが咲いています。フジバカマが咲いていると言うことは、アサギマダラもいるのではないか。果たして、いました。二羽のアサギマダラが優雅に花から花へと蜜を求めています。台湾や香港から2500キロも渡りをするチョウ。こんな小さな体の中に強風の中怒濤に荒れる海をどのようにして渡るのでしょう。
灯台には絵描きさんがいます。パステルで描いた絵は、春爛漫のように見えました。確かにこの芝生広場は小春日和。春そのものです。それでも灯台に昇れば、冬の強風が吹き渡っています。
最後に空撮を行いました。動画を見ると安乗灯台がどんな歴史をたどってきたかを否応なしに語ってくれます。見える景色は強風の吹き荒れる純白の波濤。聞こえてくるのは打ち寄せる波とカモメの鳴き声。アサギマダラが残していった鼻につくような香り。秋の紺碧の空に白亜の灯台はひたすら黙って語ろうとしません。今の灯台は無人化されて灯台守はいません。すべては沈黙の中にここでここで果たしてきた出来事を風の中に聞いたような気がします。確かにここには喜びも悲しみ幾年月が流れているのでしょう。そんな不思議な感覚にさせる、ここは不思議な岬です。