キリスト教ではこの日はキリストが黄泉に下り、すべての人々を救うために神から罪を受けてあがなったことになっています。すべての人間は神の前に罪を犯したので、その身代わりになったのがイエスで、彼を救い主と信じる者はすべての罪が許されて神の子となるというのです。どの福音記者も土曜日については詳しく描いていません。それもそのはず、当時のユダヤの習慣では土曜日は安息日で仕事も旅行も何もしないで静かに過ごす聖なる日だったからです。
土曜日のことがベールに隠されたのは、それはそれでいいことだと思います。私たちがすべてを知ることがいいとは限りません。だれが天に昇ったか、黄泉に下ったかを詮索してはいけないという言葉もあります。
しかし、人間の好奇心はこの日にこそ、知りたい聞きたい気持ちが湧き出てきます。今日のこの日は十字架から復活に至る中日です。この日、福音記者達は沈黙を保っています。だからああだこうだと考えないで、静かに黙って過ごしましょう。創世記、神はすべての物を作り終えて休まれました。私たちはただただ静まれば、今がいかに恩寵に満ちているか、その大きさその深さに気づくことができるでしょう。
