西風が吹く枯れ野に出てみると | バイカルアザラシのnicoチャンネル

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 サイコロジストの日常と非日常を季節の移ろいを交えて描いています。バイカルアザラシのnicoちゃんの独り言です。聞き流してください。

 今日は西風が強くて冷たくて仕方ありません。伊勢三山の白猪山に浮かぶ白い雲も足早に東に流れていきます。こんな日に春の兆しを探しに・・・。どこにも見つかるはずはありません。

 

 銀杏の木が箒になりました。黄葉していた葉っぱはすべて木枯らしが吹き去りました。「銀杏の木がホウキに」なんてくだらない。実はこれ、ノーベル文学賞を受賞した川端康成先生の小説に出てきます。人が表現したことを才能があるとか、ないとか批評するのが流行っています。そんなの好きではありません。言葉の一枚一葉には言霊が入っているのでしょう。何が優れていて何が拙いのか。魂に巧拙なんてないでしょう。あるとすれば、どこまで表現したいことがどれだけ伝えられるか、明らかな用法の間違いとか誤字以外は他人がとやかく言うことではありません。見たまま感じたままをそのまま文字に定着する。透徹した目が直接文字になった。ただそれだけです。

 

 どこに行っても枯れ野です。去年の夏に薄紅や薄青色に咲いていたアジサイの花は色素が冬の冷たさにさらされて茶色に。ドライフラワーになっています。これが冬のアジサイの美しさです。

 

 道ばたには水仙の花が満開。この隙間を木枯らしが通り抜けていきます。風が凪ぐと春の日差しを浴びました。温かい。一瞬の日溜まりです。スイセンの鼻につく香りが漂ってきます。ひよっとして春の兆しなのか。でも、無残にも凩が日溜まりをスイセンから剥ぎ取っていくのです。

 

 立梅用水には梅の木が植えてあります。何か記憶を呼び覚ます懐かしい香でした。梅の花が惜しげもなく咲いています。こんなに寒いのに。

 

 菅原道真が京都から太宰府に左遷されるとき、詠んだ短歌があります。百人一首にも入れられた有名な一首です。

 

 東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

 

 春風が吹いたら、香を漂わせなさい。梅の花よ、主人がいなくなっても春を忘れるな。そんな意味なのでしょうか。万葉集の時代は花と言えば梅、平安時代は桜ですが、道真はことさら梅を愛しまた。今でも天満宮と言えば梅が植えられています。事実、太宰府天満宮には、京都から梅の木が道真を慕って太宰府まで飛んできて、その梅の木が境内に残っています。文人でありながら異例の出世をした道真。あらぬ罪で京を去らなければなりません。その無念さと梅への愛情がこの瞬間にもよみがえる歌です。

 

 冬の枯れ野に春を探しに。少しだけ春が見つかりました。ふと、枯れたような桜の木が目に入ります。この桜、春になったらいっぱい花をつけるでしょう。山凍り、山眠る冬。桜の木の中では寒さにひたすら耐え、桜色の色素を木全体で作っているのでしょう。そして、春の到来とともに爆発的に桜の花に変わる。そう思うと、冬という季節はなんとパワーに満ちている季節なのでしょう。