眠れないので高速に乗り徹夜で駐車場に着いた。どこか分からないけど駐車場で爆睡。車内が暑い。お日様が高く昇っていた。着いたのは和倉温泉総湯だった。一風呂浴びると汗が噴き出してきた。そんなに熱くなかったはずなのに。海から湧くミネラルの多い泉質は体を芯から暖める。
和倉温泉から長い橋を渡った能登島に着いた。ガラス工房がある。ここで吹きガラスを作った。風鈴を作るつもりがビンなのか、グラスなのか。職人の言うとおりにしないので変な形の物ができた。
ボラ待ち櫓。おじいさんがボラが網に入るのを待っている。いつ網をあげるのか。何も動かない。ここは時間が止まっているのか。お爺さんは案山子だった。どうりで動かないわ。
のと鉄道の廃線駅。なぜか風情がある。何が人を惹きつけるのか。多くの人がやってくる。しかし、今日は誰もいない。
珠洲の軍艦島。恋が叶うという鐘があり、若い女の子達の甲高い声が風に聞こえる。大潮の干潮、島まで渡れそう。岸辺で珊瑚の化石を見つけた。巻き貝の殻もある。殻に耳をつけると潮騒が聞こえた。
禄剛崎灯台、能登半島の北東端にある。日本海の潮風が強い。こんな日はだれもこない。明治に御雇外国人のブラントンが作った石造りの灯台。日本最南端串本の樫野灯台の形とそっくり。
珠洲の塩作り。今でも海水を塩田にまき、竈で焚いて塩を作る。ミネラル豊富の結晶は甘い塩になる。「なぜ甘い塩になるのですか」と尋ねると、「塩は辛いものだ」と怒られた。
白米の千枚田。蒼い日本海と碧い秋の空、この季節水平線はくっきりと見える。霞が掛かるとどこから海なのか空なのか分からなくなる。低気圧が通ると日本海の荒波が棚田よりも高く見えることがある。冬は雪景色でまっ白になる。日没を見たことがあった。海も棚田も人もすべての物を赤く染めて西ノ海に夕陽が融けていった。いつ訪れても棚田には新しい発見がある。
輪島の朝市、喧噪は好きじゃない。おばさんのかけ声は、「兄ちゃん、見てきな!」から「旦那さん、見てて!」に変わった。いつも足早に通り過ぎて、いつの間にか市場の裏道を通っている。でも、朝市には必ず立ち寄る。アンビバレントな葛藤がいつも生まれる。
琴ヶ浜は全国いくつもあるらしい。共通するのは波が荒くてガラス質の細かい砂が浜に打ち寄せる。乾けば細かい粒が音を立てる。晴れた日が続いた砂浜を歩けば、キュッキュッと音を立てる。能登の琴ヶ浜にはおさよの悲話がある。
おさよと重蔵は許嫁になった。重蔵はおさよに「これが最後の航海になる。これが終わったら夫婦になろう。」重蔵は冬の日本海の荒波躍る船に乗った。しかし、いつになっても帰ってこない。おさよは毎日浜に出かけた。ある日、おさよがいつもいた岩には姿がなかった。そこから琴ヶ浜の砂が鳴くようになったという。
琴ヶ浜という地名は30カ所ほどある。そこには歩くと音を立てる泣き砂がある。しかし、最近は音を立てなくなったという。能登の琴ヶ浜にはハングル語文字の空き缶やビンが流れ着いている。
ガラス工房で吹いたビンに砂を入れてみた。ビンを逆さにすると風に靡いて浜に消えていった。砂は湿っていて音は立てない。美しい浜辺を求めて来たのに砂も浜辺も・・・。
能登半島の西岸にはなぎさドライブウェイがある。地平線が見えそうな程遠くまで固い浜辺が南北に通っている。ここに来ると渚よりも海の方が高く見える。じっと見ていると上下感覚がなくなってしまう。
能登半島の海岸線を忠実にたどる海道旅。旅の終着点はやはり小京都金沢。兼六園の琴柱灯籠、琴本体の竜と弦を結ぶ琴柱、竜だけでも弦だけでもお琴は音を鳴らせない。美しい形をしている。人は誰も聖地のような物を持っているのだろう。自分はそれがここなのだと思った。
あれから何年経ったのだろう。この二年間で能登はどう変わったのだろう。この涼しさがまた能登への郷愁を強くした。時間を遡ることはできないけど、空想ならいつでも旅に出られそう。
動画は2010年のもの。この風景は残っているのでしょうか?