母の亡くなった日の不思議体験その2 | だるまんブログ

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生きる知恵である陰陽五行についてだるまんと語るブログ。『だるまんの陰陽五行』(三冬社)より発行。

おはようございます。
2月は逃げる!と申します。
ビュンビュン過ぎて行く
感じがいたします。
1月半ばに母が亡くなりましたが、
母の事で
一つ一つ、階段を昇るように
物事を進めて行っております。
現実問題の事務的な処理も
その一つですが、
心の整理もしております。

母の葬儀の後から
不思議と50年以上前の
母の記憶がポンと出てくることが
増えました。
不思議よね~💫
みなさまも、
ご家族の死を体験して
今までしまっていた
その方との思い出を
思いだしたって事ありませんか?

そして、今日は、
母の亡くなる日に
あった不思議な事
第二段をお話しします。

もっと、もっと
精神世界を信じる、
そこを見なきゃ!
という体験を母の亡くなる日に
しましたので
ここに、記します。

それは、母の亡くなった
1月16日月曜日朝9時半に
記憶を戻して書いてまいります
時系列での説明に
しばし
お付き合いくださいませm(_ _)m

その日わたくしは、
横浜のヨドバシカメラで
母の為の加湿器を買いに
朝一番に家族全員と
来ていました。

その日の五日前に
実家の母を見舞った時には
顔色も良いし、
往診のお医者さまにも
「かなり、回復しましたね、」
と言われ
今年も桜の花を母と見れるな、
良かった!と安心しておりました🌸

が、それから五日
母の亡くなるその日
ヨドバシから
朝の10時過ぎに実家に
電話いたしました。
加湿器を送る事を
実家に確認するためでした📞

と、実家の弟がワンコールしないで
電話に出ました。
今まさに
私に電話しようとしていたところ
だったそうで、
「お母さん危ない!
看護師さんが午前中には、
逝ってしまうかもって言ってる!
お姉ちゃん、すぐ来て!」

家族全員で行動していたのが
幸いして
主人も、子供も共に
慌てて、ヨドバシを出ました。
横浜駅で宇都宮線に
飛び乗りました!
と言っても
神奈川の横浜から
さいたまの大宮まで
一時間はかかります。

前にもブログに、
書いたことありましたが、
在宅看護の母は
ずっと寝たきりで実家で、
生活しておりました。
お医者さんと看護師さんが
家に往診を
してくださっていましたから
実家を目指します。

飛び乗った宇都宮線は、
無事大宮に着くと、
実家へはタクシー🚕で。
途中、氷川神社さんの参道を
車は、横切り横断します。
その時、スサノオさまには、
失礼ながら
車の中からのお詣り。
本殿へ向かって
母の最期に間に合いますようにと
手を合わせておりました。
その祈りが通じたのか
間に合ったのです。

昼前に実家につくとお医者たちは
処置をしてくださり、
お帰りになった後で
母の信頼する神父さまが
(母は、カトリック信者なので)
母のベッドの脇にいらして
くださってました。
もう、後は天国へ逝くのを
皆で見守るというかたちです。
神父さまは、
意識の無い母に優しく、
元気だった時の様に
お話をされていました。
カトリックにある
「病者の塗油」の祈りは、
すでに終わっているようでした。

母は、もう意識は、
はっきりして居ないようで
目をつむり、いつもより息が
荒くなっておりました。
話しかけても、答えませんし
手も力が無いのかダランと
しているよう。

それでも、神父さまは、
母の手を握り、母との思い出話を
されていました。
『あー、とうとうお別れの時が
来たんだ。
もう、持ち直す事は、無いんだ。
私は、母に何をしてあげられたのかな?』
などの考えてがぐるぐる
頭を回っておりました。

わたくしは、
母に心配をかけないように、
結婚してから30年以上
自分の辛い体験や
困り事を
両親に愚痴った事が
一度もありませんでした。
それが、病気気味だった
私の母への親孝行だったなと思い
涙が出ました。

その瞬間の事です。
神父さまがこう言いました。
「お母さんが、
今ワタクシノ手を強く握ったよ!」
(神父さまは、イタリアの方)
何時間も、意識の無かった母が
反応したのです。
そこにいた一同、少し嬉しくなりました。
神父さまは、
「そう、あれが欲しいのデショ!
だから、手を握ったのデショう」
と言いました。

あれとは?
それは、いつもの神父さまと
母のやり取りされてる事、
母は、いつも神父さまの
お持ちの十字架を見せてと
所望します。
その時も、神父さまは、
そう、思われたのです。

その十字架とは、
神父さまがお持ちの大切にされている
フランチェスコの十字架です。

イタリアのフランチェスコの教会に
安置されているその有名な十字架。
その、レプリカのミニチュアの十字架
をお持ちになっています。
前から、母はその十字架が
大好きで、神父さまが
いらっしゃる度に、見せていただき
手に持たせてもらっていたそうです。

何年か前に、とうとう?(笑)
神父さまが、イタリアのご実家に
帰られた時に神父さまは、
母の為にその十字架をイタリアで
購入してきてくださりました。
帰国してから、母にプレゼントして
くださったのです。
ですから、毎度神父さまの
十字架を所望する母には、
プレゼントされた母の十字架を
持ってもらってました。

わたくしも、
何年か前から、その十字架が
母のベッドの壁に提げてあることを
知っておりました。
でも、その十字架に、そんな
いきさつがあったとは、
知りませんでした。

「オカアさんに、
フランチェスコの十字架を
取ってクダサイ。」
と神父さまはおっしゃいました。
十字架の近くには、父がいたのに、
わたくしが壁から十字架を
外す役をすることになり
十字架を手に取りました。
イエス様の美しい十字架。
これが、イタリアのフランチェスコ教会にあるのね~🌠と思いました。

すると、それまで
無言でジット耐えているように
口をへの字にしていた父が
いきなり喋りました。
「その十字架を神父さまが、
持ってきてくださった日付が
十字架の後ろに書いてあるんだよ。」
神父さまや
周りの今までの会話の流れと
全く関係ない父の発言で
わたくしは、今そんなことより、
お母さんに十字架を持たせて
あげることの方が重要なのにと
思いました。
しかし、
父は、母が天国へ逝ってしまうので
気が動転してるのねと思い
その日付を確認するべく
母のフランチェスコの十字架を
裏返しました。

父の字で日付が書いた紙が
貼られておりました。
その日付を見たわたくしは、
ビックリして絶句しました!!

それは、
だるまんでいうところの
反転のあった2013年
そして、わたくしにとっての
反転が墜ちてきた日付でした。
《2013年8月2日》
と十字架には、記してありました。

その日、魂レベルでの打撃を受けた
私は、驚き、そして恐れを感じました。
陰陽五行でいうと、
驚きは、氣の乱れを起こし
恐れは、
氣の下がることを意味します。
娘のつまり、わたくしの氣の変化を
心配していたのです。
『遠く離れて、動けなくとも
母は、それを察知していましたよ。
遠く離れていても、
動けなくても
会話がうまくできなくても
あなたの危機を察知してたよ』
と、母からのメッセージと
受けとりました。

恐れも驚きも、陰陽五行の
《水》にあたりますので
水は、見えない世界の感情とも
言えますよね。
母のその日に
神父さまにいただいた十字架の
恩恵でわたくしを
上げようとしたのかもと、
思いました。

《動けない方は、
だからこそ
精神の動きや、見えない世界への
アクセスが達者になる!》

それは、わたくしが
このところ母以外からも、
知って、ブログでもご紹介したり、
していた事でしたのに、
母に於いては、病人として
接していたのです。
お母さん、ごめんなさい、
そして
ありがとうございました。
私の危機の日も、
それを感じていたし、
その後も、ずっと心配して
気にかけてくれていたのね。

母は、神父さまの
手を握りしめた時から、
夜の11時過ぎになくなるまで、
誰かの手を
握る事は、ありませんでした。

最期に、力を振り絞り
神父さまを通じての
懸命に送られたメッセージを
しかと、受けとりました。

反転から、4年
その間に、体も心も不安に陥ってた
時期も長くありました。
その間、母の私を思う気持ちは、
わたくしを守り続けていて
くれたのかと、
思うと感謝しかありません。
そして、寝たきりの母を
好きでしたが
第一には、
病人として見ていた自分や
反転に遭い
こんなに辛い事があったからと
周りの見えなくなっていた自分が
恥ずかしく情けなく思えました。
私が、一人で墜ちこんでいたとき
寄り添ってくれていたのですから。

《わたくしの周りにも
お母さんと無関係に生きている方
または、お母さんが嫌いと明言して
いる方もいらっしゃいます。
でも、たぶん見えない世界では
見守ってくださっていると
思いますよ。
あなたが、お母さんを嫌いでも
あなたにとって、
何もしてくれなかった存在だとしても
絶対に言えることは、
一つあります。
それは、あなたをこの世界🌏に
産んでくれたと言うこと。
そして、その結果こうして
私とも、繋げてくださったと
いうことです。》

長いブログをお読みくださり、
また、だるまんを応援して
くださりありがとうございます。
わたくしは、
これからも、見えない世界の
存在を心より信じて
進んでまいりたいと存じます。
2017年2月9日
堀内紀子🌸


いつか、イタリアに行って
本物をお詣りしたいです。

いただいた日の事を、
父も良く覚えておりました。
私も、この日は、
朝から夜まで全て記憶にある一日です。
私にとっては、
映画「君の名は」の隕石が墜ちた日と
同じ位の一日。