哲学史を五行で読み解くと? | だるまんブログ

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生きる知恵である陰陽五行についてだるまんと語るブログ。『だるまんの陰陽五行』(三冬社)より発行。

7月21日(木) 18:00~20:00 には東京駅でだるまん講習会があります。
森羅万象を読み解くモノサシ、陰陽五行ですが、今回の講演では哲学をとりあげます。
主題は「儒教」ですが、この背景にある中国の道教、仏教との関係をまず五行で整理するとわかりやすくなります。

老子の道教は「無為自然」すなわち「おのずから然り」という、この世的な「モノ」の世界を超えた「モノ以前のもの」の理念を見つめよ…と言います。
仏教では「モノ」と「モノ以前のもの」の関係性をあやつる「仏性」や「仏」に世界の根元を見ます。
孔子の儒教では、この世的な「モノ」の世界を正しく誘導するのに必要な仁や礼といった秩序を優先します。

子供の時の学校の授業でこう習った時、いろんな人がいろんなことを言いますが、「何がホントなの?」と思いました。正解は何がホントということはなく、それぞれがそれぞれの立場で世界を把握した結果、このように言った…ということなのです。
しかし、そこに五行のモノサシを応用すると、すっきりと整理できます。
道教は「木」、仏教は「火」、儒教は「土」…的立場ということなのです。

「木」とは現実以前の観念(想念)の世界を指すし、「土」とは私たちが現実と認識するこの世的なモノの世界に相当します。そして「火」とは、観念(想念)と現実をつなぐ神聖な「何か」です。それぞれがそのパートに主眼を置いた結果、上のような結果ができたのだ…と理解できるのです。

また、この関係性は西洋の哲学にもそっくりなものがあります。
フランシス・ベーコンの「イギリス経験論」はこの世的な「モノ」の世界における「経験」に世界の実体を見、
デカルトの「フランス合理論」では想念という「モノ以前のもの」から成り立つという前提のもとに世界を見、
カントの「ドイツ観念論」では想念と経験対象をひとつのつながりとして見ました。
従って、
ベーコンは「土」、デカルトは「木」、カントは「火」ということになります。

これをひとつの指標として再度儒教なり、道教なり仏教なり、西洋哲学なりを見ていくと
「なるほど、立場によってこのように言えるのだな〜」と理解できるのです。

目を転じて現代のあり方をみてみましょう。
多くのケースは主眼は「モノ」の世界、つまり「モノ」以外のものはない!という世界観に染まっているので「土」なのです。
しかし、上記のように主眼をどこに置くのかでまったく違った世界観が展開され、私たちの認識はぐーっと広まっていくのです。

そしてさらに、五行を使うとそれぞれの方向性が見えてきます。
「木」→(「火」)→「土」という順番です。
つまりは「木」のような観念の世界は「火」のような神聖なる何かの影響を受けて「土」という現実世界に着地する…という順番です。
これはなにが偉いとか正しいかということではなく、ものごと組み立てとしての順番です。必ずしも歴史的にこの順番になるとは限りません。立場がそれぞれの認識の優先度を決めるからです。しかし、順番がわかっていると、理解が進みます。

たとえば、老子の理想(「木」)に、仏教のような具体的な神的存在(仏)(「火」)を想定することで、儒教的な現実面(「土」)での応用がしやすくなるということです。
儒教には神仏の設定はありませんが、内容的にはそういうことです。
こう理解していくことで、学問としての儒教などが、現実に応用できるものの見方へと変わっていきます。

そして、「土」の次には何があるか…ということまで見えてきます。五行では「金」の影響のもと、「水」がある…と理解します。
「水」とは「火」のような神聖さをもった現実を超えた世界観でもあります。これから私たちが向かうのは、「水」なのです。

▶東京駅  2016年7月21日(木)   18:00~20:00
タイトル→  儒学と陰陽五行  費用 3000円
場所… 東京八重洲会議室(イオンコンパス)
東京都中央区京橋1-1-6 越前屋ビル4階  (八重洲地下街から行くと24番出口を上がる)
申し込み→ 三冬社 03-3231-7739 http://www.daruman.info/contact/index.html