桜の咲かぬ今はまだ、花冷えでもあるまいに、自分の心は沈んでいる。
毎年春爛漫になると憂鬱になるのだが、寒さの残る日々でさえ、すでに沈鬱極まりない。
春になると、人は浮かれて他出をする。しかし、
「桜の樹の下には屍体が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺にはあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ」
(梶井基次郎『桜の樹の下には』)
今朝の母教会、牧師の説教は『ヨハネによる福音書 』12章9節から。
「大ぜいのユダヤ人の群れが、イエスがそこにおられることを聞いて、やって来た。それはただイエスのためだけではなく、イエスによって死人の中からよみがえったラザロを見るためでもあった。
祭司長たちはラザロも殺そうと相談した。それは、彼のために多くのユダヤ人が去って行き、イエスを信じるようになったからである。
その翌日、祭に来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。
〝ホサナ、祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に〝」
祭司長たちが恐れていたのは、群衆がイエスを擁して自分たちイスラエルの指導者から離れ、さらにはローマ帝国に対して反逆することだった。それで奇跡の証拠たるラザロをも、イエスもろとも殺そうと企んだのである。
実際には、イエスのエルサレム入城の目的は十字架による人類救済で、政治的意図など全くなかった。「カエサルのものはカエサルに返せ」、そう教えるほど政治的には保守だったのだが、まさにこのことが、歓迎する群衆を反転させることになる。
革命を望むユダヤの民の期待に応えなかったので。大衆は怒り、ローマ帝国のイスラエル総督ピラトに対し、「イエスを十字架につけろ!」、そう叫ぶに至るのだ。
そしてイエスはこのことを知っていた。今まさにろばに乗ってエルサレムに入るとき、この群衆の歓喜の声が、やがて憤怒と侮蔑の声に変わるのを。
「『恐れるな、シオンの娘。
見よ、あなたの王が来られる。
ろばの子に乗って』
初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した」
イエスはイスラエルの王になろうとしたのではなく、〝栄光〝とは十字架の死による人間の罪の贖いと、復活を指す。そして〝人々がイエスに対して行なったこと〝とは、歓喜から憤怒への反転。ペテロら弟子たちは、これらを目の当たりにしたのだ。
イエスひいては弟子たちも、大衆あるいは人間に対し、ペシミストにならざるを得なかった。
人間は、ものを思って言動す。そのひとつひとつが時として、相手にとっては棘となる。「良いこともし、悪いこともするのが人間というものさ」と鬼平に語らせたのは池波正太郎だが、当人の意識はともあれ我々は、他者の言動にある日は救われ、またある日は絶望する。
※ 日頃ものがわかっている友人知人すら、こと政治認識に於いては見るも無惨に朽ち果てるのを自分は何度も見てきた。ましてや他人をや。世の中が、良くなろうはずがない。
先日、友人F君が「自分はペシミスト」と告白していた。ペシミストだからこそ文学を好むのだろう。
この世のまことを追究するにあたってはペシミストたらざるを得ない。逆も真なりだが、ペシミストとは懐疑派の謂。人間を信用しつつ、信用しない。
そうでなければ桜の下で、ただ浮かれて騒ぐだけ。まさかに屍体が埋まっていようなどとは考えも及ぶまい。
「桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集まって酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集まって酒を飲んで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下に来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死にして花びらに埋まってしまうという話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです」
(坂口安吾『桜の森の満開の下』)
ーーー
◆音はシンプリー・レッド/Picture Book
ーーー
「桜の森の満開の下の秘密は誰にも今も分かりません。あるいは〝孤独〝というものであったのかも知れません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。
彼は始めて四方を見廻しました。頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。ほかには何の秘密もないのでした」
「彼は女の顔の上の花びらをとってやろうとしました。彼の手が女の顔にとどこうとした時に、何か変ったことが起ったように思われました。すると、彼の手の下には降りつもった花びらばかりで、女の姿は掻き消えてただ幾つかの花びらになっていました。そして、その花びらを掻き分けようとした彼の手も身体も延ばした時にはもはや消えていました。あとに花びらと、冷めたい虚空がはりつめているばかりでした」