今日は漱石の日。マジか! | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

夏目漱石の作品読んだことある?

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ええ、もちろんあるです。
「新潮文庫の100冊」で『こころ』でしょ、あとは『草枕』や『彼岸過迄』。イチオシはしかし、『漱石文藝論集』に『夢十夜』なんだが。。。
 
漱石と鷗外は、マスト本。読んでいない方がおかしいのであって。
というのも、ふつう学校で習うじゃないですか。国語の授業はある種の人々にとっては苦痛でも、きっかけとしては最適である。強制的に読まされなければ〝自主的に〝食いつくことも無かろうに。
 
小林秀雄だってそうでしょう? 『無常といふ事』、あんなクソ難しいもの、わざわざ自分で買って読むかよ。
 
リアルタイムの中高時分にゃ「なんじゃこれ」状態。試験に出るから嫌々ながら。
ところが数年ないし数十年後、ある日ある時ふと思う。「三四郎でも読んでみますか」「確かアレ、〝富士山以外に日本が誇れるものはない〝とか書いてあったよなぁ。何ゆえに」。
そんなこんなで社会人、再び漱石デビュウしたり、しなかったり。
 
歴史に残る文学は、明治といい昭和といい、中坊といいアラサーといい、常にリアルタイムで応えてくれる。だから歴史に残るのだ。
いつだって「新しい」。我と我が身にとって。
 
こんな〝いつでもリアルタイム〝の経験を度重ねると、いきおい文学好きになるし、何より人間や社会に対する洞察力が涵養される。また社会の授業も同様で、当時ぐーぐー寝ていたやつが後年
 
「教科書に載ってないこれが真実!」
 
などと小林よしのり低脳本や、ネットで目覚めてウヨ化する。
なぜか。基本ができていないからである。
 
これは単に、偏差値を意味しない。東大出てても馬鹿は馬鹿。肝心なのは文脈を読み取れる力があるか・紛い物と本物を峻別できるか・・・「言葉を重視できるか」であり、要はリテラシーの問題。
※ この伝で言うなら、経団連のお偉方にも全くリテラシーの無いのが多い。司馬遼太郎や月刊ダイヤモンドばっかり読むからそういうことになる。
※ 逆に、中卒ないし商業高校出の俊才を、ワタクシ何人も知ってます。
 
話を戻すと、時として「強制」は重要である。体罰DVはいけないが、知的強制は、きっかけを与えるので。
また、
 
「ここ、試験に出るぞ〜」
 
と、ある種の恐怖感を与えるので。
 
柄谷行人だったか誰だったか、こんなことを書いていた。
 
「ウヨはやたらと〝日本国憲法は押し付け憲法であって、自主的憲法じゃないから直ちに改めるべき!〝などというが、古代から、日本が何か自主的に何かやった事があるか?
明治憲法だって西欧列強の圧、ないし、近代国家として認められるべく(やむなく)定めたもの。日本国憲法もまた。
どこに〝自主的〝な要素があるんだよ低脳」
 
米国からのいわゆる押し付け憲法論は間違いで、例えば9条2項「交戦権の否定」は当時の幣原喜重郎首相が発案・GHQに申し出たのは近年の研究で明らか。それでも氏の指摘は肯綮に当たっている。
 
遣隋使や遣唐使、さらに遡れば日本人が、大陸・半島、南方から渡来したのは事実。
天皇家だってそうでしょう? そもそも日本列島は大陸と繋がっていて、日本海は湖だったんだから。
そこに〝自主的〝などあり得ない。
 
ひいては、西洋みたく自ら人民革命を起こしたことのない我が邦の宿痾に、事は繋がるのだが。。。
 
革命ともあれ、文学はだいじ。漱石は、乃木大将の自裁 ー 明治天皇崩御で殉死 ー に衝撃を受け『こころ』を書いたし、鷗外は『興津弥五右衛門の遺書』を著した。
前者は茅ヶ崎あたりで投身した「先生の遺書」に託し、後者はもっぱら故事に託けて。
 
歴史とは何か。死んだ子を思う、母の嘆きではないか。
 
そう記したのが小林秀雄(『ドストエフスキイの生活』)。『こころ』の先生であれ興津弥五右衛門であれ、私事に託して歴史(嘆き)を語る、漱石鷗外をこそ、いま読むべきである。
君にはさんざ、選択肢があったのだ。そこで君は右の道を選んだ。この選択は、決して取り消すことはできない。的にも。
 
いずれにせよ読書感想文はマストよね。言葉で問われれば、言葉で返さなければならない。
そこで初めて「思考」が醸成されるから。
 
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今日の音は、珠玉の木枯し紋次郎。

 

 

この『峠に哭いた甲州路』、シリーズ中いちばんの名作じゃね? だって昭和47年時点で身体障害者をフィーチャーしてるんだぜ? 

 

◆これが峠の向こうでござんすよ、おたえさん。

 

 

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しかして時代劇こそ我が国の、歴史伝統だったり、そうでもなかったり。