古典でピップス | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

ピップスつってもピップエレキバンじゃないですよ。

 

昨秋、ヅカ問題()さなかの某宙組トップに雨月物語を贈ったら、大変ご好評いただいたと母御伝手に伺った。

だからか爾来、古典づいておる。

 

先日ちょっぴり触れたのは永積安明『徒然草を読む』(岩波新書)。

 

 

いま取り掛かっているのは石母田正『平家物語』(これも岩波)。

 

 

そして数日前に読み終えたのは、堀田善衛『方丈記私記』(ちくま文庫)。

 

 

原典、平家はまだだが徒然と方丈記はむかし読了。上記は原典じゃなく当該の書を語った評論/エッセイ/研究書の類じゃあるが、だからこそそれぞれ著者の読みの深さや見地がまことに興をそそる。

小説は一般に、物語で「ワールド」を表す。評論も小説とは違った形で ー 直裁に ー ワールドを表す。いずれも文学である。

 

堀田善衛は短編小説『広場の孤独』で有名。フランス文学を慶應義塾で学び、ゆえに仏文学を佳くする。

そして三島由紀夫が東大法学部なのに雨月をはじめ古典に通暁したのと同様、堀田氏もまた日本の古典に詳しい。

 

『方丈記私記』では、アルチュール・ランボオが普仏戦争後に成立したパリ・コミューンと同調したのを引きながら、鴨長明と方丈記をアレする。

永積先生の『徒然草を読む』にもあるとおり、そもそも老荘思想は単に隠者の哲学ではない。政治への激しい関心がベースなのであり、その裏返し・副反応として隠遁・引きこもりと見えるだけ。

徒然草で兼好は、ヅカよろしくこれを換骨奪胎したのだと永積氏は説く。

 

フランスにも引きこもりは多い。(友人が送ってくれた)ユイスマンス『さかしま』は世の中嫌になっちゃって、自宅をある種飾りたててもっぱら思索に耽るの書だし、何よりプルースト『失われた時を求めて』は世界最高の引きこもり文学だ。

ランボオはけっこうお出かけ好きも、ボードレールはまあまあ引きこもり。ドラッグばっかりやりやがって✌️

 

方丈記の時代、引きこもりは実は長明ではない。藤原定家、ひいては朝廷の衆である。堀田氏は彼らを「朝廷一家」と称すのだが、度重なる地震に火災、源平の戦乱。庶民が塗炭の苦しみに喘ぐなか、朝廷一家が編んだ新古今集にも千載和歌集にも、戦乱の「せ」の字すら一切出てこない。

死んでいったのは庶民だけではない。何と、蔵人(朝廷の事務官)ですら数多餓死していったのに、後鳥羽院も土御門天皇も、俊成・定家も全く関心ないごとく、ひたすら「美」に専念する。

 

「これはいったい何なのか」。そう堀田善衛は訝しむ。というのも、彼は昭和20年3月10日の東京大空襲時、炭化した焼死体がごろごろしている富岡八幡に、昭和天皇がたった10分ほど

 

「行幸」

 

したのを見たからだ。

 

まるでそこには屍体など無いような、氏のありようを。

 

鴨長明は方丈記に書く。「夫(それ)、三界は只心ひとつなり」。いわゆる大東亜戦争に今般の能登地震、自民や維新の悪行に際して、これはいち昭和天皇のみならず日本人全般ずっと

 

「ただ心ひとつなり」

 

で現実を直視せず(出来ず)、心ひとつと逃げている。あまりに悲惨であまりに愚劣な現実からのシェルターを〝心ひとつ〝に持たざるを得ない、そんなDNAが平安期から受け継がれているんじゃなかろうか。

自民や維新の悪行こそ堀田氏知らねど、彼は斯く説く。

 

事は天皇制に至るのだが・・・とまれ福原遷都といえば京都から、わざわざ神戸福原まで見に行き、左京区だけで4万数千人が死んだ災害時にはてくてく見歩いた、長明さんのジャーナリスティックなありようが逆に浮き彫りとなるのだ。

 

一般に、方丈記は〝無常観〝とされる。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまる事なし。

 

冒頭の有名なこの一節はしかし、続く

 

「世の中にある、人と栖(すみか)とまたかくの如し」

 

に掛かることを堀田氏は指摘する。要は、世の中の人と栖=生々しい現実にこそ、と。

何が無常観だよ低脳と。

 

隠者の文学・哲学は、かくして政治に対する激しい関心の裏返し。ユイスマンスも『さかしま』にこう書いた。

 

「世の中は、卑劣漢と低脳児で出来ている」

 

然り。愚劣であればあるほど我々は、引きこもりたくもなろうというものだ。

 

自分がずっと古典にハマっているのは、芹香師匠が雨月を喜んでくれたからだけじゃない。法律違反のマイナンバー保険証強制(紙の保険証を廃止)、いかがわしい維新の大阪万博や、カルト統一教会に支配された自民党の裏金事件・・・

枚挙に暇なき愚劣な政治(以前の)問題に、辟易しているからに他ならない。

 

〝積極的に強盗殺人をしなければ生きていかれなかった平安末期〝において、超然として和歌に淫した藤原定家や後鳥羽院。が、悲惨な現実を無視し突き抜け、「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」のマリー・アントワネットのフランスもとより世界に類を見ない

 

夢の浮橋=究極の美

 

を表した彼らを、誇りに思うのも確かだ。

芸術も、突き抜けて至上主義となれば新たなワールドが展開さるる。自称日本浪漫派たる自分にも、そんな日本人のDNAが受け継がれているのを、つくづく感じる。

 

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では音楽。週末の夜につきピップス関係ソウル関係で。

◆グラディス・ナイト&ザ・ピップス ー Neither One of Us

 

 

次はB.Bキングとジョイントで、はあ、エタ・ジェームスとチャカ・カーン、グラディス姐さん方。

◆Ain't Nobody Business

 

 

 

ラストは夢の浮橋LAに、スターになりたく出て行ったある男。

しかし現実厳しくて、如何にも彼には荷が重かった。

彼女は彼にこう語る。〝夜汽車に乗ってジョージアへ帰ろうよ〝

私が、ずっと隣にいてあげる

 

◆Midnight Train to Georgia

 

 

それでは皆さま、よい週末を。