こたつ記事 ー 鮎川さん再び | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

世間には「こたつ記事」といふものが跳梁跋扈しておって。

例えば田尾さんや高木豊さんが自身のYoutubeチャンネルで話したことを、Yahooニュースがまんま載せる。単に文字起こし・脳を1mgも使うことなく。

自分で汗をかいて取材せず脳も使わぬ、こんな「こたつに入っていても書ける記事」の事をこたつ記事と言います。

ネットニュースの多くがコレ。

 

諸人は〝マスゴミガー〝するが、朝日にせよ讀賣にせよ、表し方に賛否両論あれども足で稼いでいる記者が大半。「ネットこそ正で既存のマスメディアは駄目」なる衆は、あなたが読んでるネット記事、コピーライト©️にご注目。共同通信だったり朝日新聞だったり読売新聞だったり実はする。ネットニュースはそのコピペにしか過ぎず、インターネットが発達し、インフラ的にコピペが出来るようになっただけ。

インターネットの発達は、然して「こたつ記事」を生むようになった。

 

こたつ記事と評論/批評との違いは何か。自身の脳を使うかどうかであります。

 

「義経と木曽(義仲)を比べて、その没落の形を暗示するやうに、平家物語の作者は書いている。元歴元年十月三日、京都の新帝の御禊の行幸があつた、當時諸國の民は戰亂に疲弊してゐたが、なほ大嘗會は花やかに行はれ、この行幸に五位尉に任官した義経が先驅する(當時義経は頼朝の許可なくして任官したやうなことから、頼朝との間に不和を作り、平家討伐は範頼に命ぜられて、空しく京都に止まつてゐたのである)、それを世人が評して『是は木曽殿などには似ず、以の外に京慣れたりしかども、平家の中の選り屑よりもなほ劣れり』といつた。ここに義経の運命に對する一つの暗示がある」

 

論はさらに、義経殺害は後世の我々にも肯んじうる理由があるが、範頼一族の誅戮は凡そ理由がなく、人間外の意志・制度の意志としか思われない。そんな風に続くのだが斯くなる読み解きというか感性は、評論の評論たる所以のものである。いわゆる平家 ー 平家物語 ー を沈思黙考読み読みし、己のアンテナ/感性で掴んだところを世人に開陳。

同じ〝まず題材ありき〝でも、これは田尾安志氏のYoutubeチャンネルをコピペしたこたつ記事ではない。しっかり脳を使ってゐる。さすがは保田與重郎である。

※保田與重郎、明治43-昭和56。我が日本浪漫派の開祖であります✌️

 

三連休(わたしは2 1/2 連休)の最終日、保田與重郎『日本の橋』や上記『木曽冠者』を読みつつ眠りつつ・・・寝床で終日、だらだら過ごしました。飯もろくに食ってないし、なんなら寝返りも打たんかった。

日暮れの頃にようよう起き出し、鮎川さんの映画公開記念番組を見ていたら。。。

 

土屋昌巳氏が物凄いことを言っていた。

 

鮎川誠氏と土屋昌巳氏、一見真逆のギタリスト。前者はThis isロックンロール、後者はニューウェイヴかつヴィジュアル系の奔り。

◆一風堂 ー アフリカンナイツ

 

 

が、1980年に雑誌の対談で会い、共感共鳴。

 

1、エフェクターを使うのは邪道である

土屋さんはエフェクター使いまくり。でも本来は「使ってはならない」、こうおっしゃる。

ギブソンやフェンダーの往時のモデルはめちゃくちゃ凄くて、エフェクターを(必ずしも)前提していない。マーシャルのアンプも。

どのように凄いかというと、一枚板をいったん池に浸ける。プランクトンは木の焼けというか脂(やに)が大好きで、池に浸けてそれを食わせる。それから延々天日で乾かし、初めてギターやアンプの素とした。

なので昨今の、チップを貼り合わせた物など最悪である。

 

「池に浸けてプランクトンに食わせるこの製法は、今や世界で唯一、琴のメーカーにしか残っていないのではないか」

 

ゆえに理想はギターとアンプの直結。したがって、これらをつなぐシールドの品質が問われてくるんだが、最高品は1電話を発明したベル氏の、しかも1940年代の製品。

というのも、1940年代といえば絶賛第二次世界大戦ちう。通信が至極重要で、ベル社もむろん駆り出された。当時 ー というか60年代頃まで ー は電話交換手が、かかってきた電話をつなぐべき相手に、シールドでボードに接続をしておった。

コンピューターもそうだが(※)、良し悪しともあれ軍需で発展したのであった。

※ コンピューターを作ったフリッツ・フォン=ノイマン。ナチスドイツのV2ロケットの弾道計算のために開発したのは、俺みたいなコンピューター野郎には常識中の常識です。

 

で、ギターとアンプの直結野郎。鮎川さんの後継者はベンジーである。そんなお話を。

◆Blankey Jet City ー プラネタリウム

 

 

鮎川さん的には、

◆ロケッツ ー You Really Got Me

 

 

この爆音。

 

土屋さんは続けます。

「で、ギブソンのギターとマーシャルのアンプを共にボリュームつまみをMAXにしたら、あら不思議。真空管が火を吹いて、終わる直前の焦げる匂い。それに気づいたのはクラプトンであった」

 

◆ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ ー Stormy Monday(1966)

 

 

うむ、音はくっきり。確かに圧がある。

プランクトンからクラプトン、土屋昌巳さんの話はめちゃくちゃ面白い。が、以上全部鮎川さんはご存知だったとか。それで雑誌の対談で、ウマが合ったわけ。

 

氏は語る。

 

「昨今、自分の評価を人に委ねがち。だから駄目なんだよ低脳。

まずは自分で自分自身を評価しなきゃ。結果は後からついてくる」

 

これはいったい何を言ってるのかといふと。。。

 

鮎川さんはサンハウスからロケッツに至る雌伏の時期、博多あるいは若松で悶々と。でもただ悶々としていたわけじゃない。洋書取り寄せ読み込んで、「なぜアルバート・キングが凄いのか」を研究。

さらにそれを、例の松本さんがやってた博多のレコード屋、そこのレコードに手書きで全部挟んでおった。なんならガリ版刷りで冊子を出していたそうな。

 

自分の評価は人が決める、とは一見尤もであります。ことビジネス界ではさふ言わるる。買うか買わぬかは相手が決める。マルクスが言うところのこれは「暗闇への跳躍」なのだが、買うという〝評価〝は結局相手に委ねられる。

でも売れる売れないは結果であって、まずは自分が好きな事を追求すべき。掘って掘って、掘りまくって。

なぜアルバート・キングが凄いのかを言語化し、かつガリ版刷りで撒く。なぜここまでするのかといふ事は大概、人にはわかってもらえない。99.9%は振り向かない。

 

それでも。

 

土屋昌巳氏曰く「だからロケッツは細野晴臣さんに声をかけられたんだろう。といふのも、細野さんや高橋幸宏さんは〝キミいったい何がやりたいの?〝から入る。己のない奴は、はなから相手にしない」。

 

励みになるなぁ、齢61ながら。

今どき保田與重郎なんて読んでる奴、日本に3人くらいしかいないんじゃね?

 

ことほど左様にこたつ記事。もっぱら人のふんどしで、今日も相撲を取りました。

 

ラストは土屋さんのお話に出てきた、

◆ジョニー・サンダース ー Blank Generation

 

 

鮎川さんもシーナさんも、この曲大好きだったそうな。

 

 

圧よね、圧。己が先ず、圧をかけると云ふ。。。