ジョス・ストーン、世界を巡る(後編) | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

ドーバーの田舎に生まれ、尼で播州なジョス・ストーンはソウルミュージックを佳くする。幼い頃にアレサを聴いて開眼したものであるから、例えばマッスル・ショールズへSoul(源)を訪ねていくならわからぬことはない。

しかし彼女は世界へ世界へ。題して「トータル・ワールドツアー」、世界の地べたを辿る旅。

 

以下、163本くらいある当該動画の中から5本厳選してお届けします。

 

◆トリニダード・トバゴにてKesと ー Love Ah De Music

 

 

飛んでいけ!

 

トリニダードandトバゴは南米ベネズエラの沖合15kmに浮かぶ島国。トリニダード島、トバゴ島の主要2島から成る共和制国家であり、総面積は東京ドームの約11万個分。スティール・パンとリンボーダンスが有名である。

ラテンアメリカ諸国

 

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ではジャマイカと並んで数少ない英語圏。つまり英連邦である。

 

ノーベル文学賞作家V.S.ナイポール(『ミゲル・ストリート』『自由の国へ』他)の故国であり、彼を仰いで珠玉の青春恋愛小説『ドラゴンは踊れない』を著したアール・ラヴレイスが生まれ育った国でもある。

 

 

カリブ海はトリニダード・トバゴの首都ポート・オブ・スペインの東に、スラム街ラヴェンティルはある。流れてきたごろつきども、哀しくもたくましい女たちがごった煮のように暮らす場所。

ヤードに流れるカリプソのメロディ、そしてスティール・パンの響き。定職も持たず、ひとりの部屋で、オルドリックは年に一度のカーニヴァルで自身が纏う壮麗なドラゴンの衣装をつくって一年のほかの日を過ごしている。

ドラゴンにデビル、先住民、奴隷、アフリカの神々や伝説の英雄たち・・・祝祭の日にマスカレードのキャラクターを演じることは、それらを思い出すこと、伝えること、魂を吹き込むこと、そして、その力を自分たちのものにすること。

祖先から受け継がれてきた奴隷制時代の記憶が呼び覚まされる。

 

ー 『ドラゴンは踊れない』裏ジャケより

 

巨大な山車に〝カーニヴァルの女王〝・・・ファヴェーラでいつも鳴り響くのは銃声だが、今日だけはパンの響きだ。踊れ。

 

大西洋を渡りアフリカへ。

◆Royal Messenjahと〝ザ・ガンビア〝。

 

 

ヤヒヤ・ジャメ陸軍中尉の軍政と、警備員・不動産屋出身アダマ・バロウの民政。セネガルにナイジェリア、ガーナら周辺諸国の動向。

対立を乗り越えて祖国統一を願うロイヤル・メッセンジャー。ジャーはちなみにger ではなく、皇帝を表わすJah。

ハイレ・セレシエを神と崇めるラスタファリズムがここにも。英連邦のロイヤルに、皇帝のJah。バルガス・リョサ『世界終末戦争』よろしく王党派は常に切ない。

そうして聴くと、この曲も。牽強付会が過ぎるだろうか。

 

音は再びアメリカ大陸。

◆ナタリア・ラフォルカデ@メキシコシティ。風に吹かれて。

 

 

女性同士のハモりが美しい。俺らが知らないだけで、ナタリアさんもまた当地の国民的歌手だそうです。

 

季節は一転、秋の頃。アゼルバイジャン、コーカサス。

◆イルハム・ナザロフ。音も一転、オペラはアリア的な。

 

 

ナザロフ氏のミラクル・ヴォイス込みでいかにもオーソドックスだが、オーソドクスとは「正統派」の意。東方教会は自らをオーソドクスと任じ、その信仰はキリストの神を神とするにとどまらず、神の慈愛に自らを委ねることを本願とする。ここで「委ねる」とは自身の「行い」を意味し、〝行いを伴ってこその信仰〝。即ち、ともすれば行動主義に傾く。

同じキリスト教でも〝すべてを神に明け渡す〝プロテスタントの信仰とは異なる。そして東方教会の神秘主義的傾向は、ロシア土着の民間信仰に加えて「行動しても行動しても儘ならぬ」己の限界を目の当たりにし、却って深まっていったのかも知れない。

プーチンさんが、そうでしょう?

 

路上を旅したジョス・ストーン帰郷。(ほぼ)英国に戻ります。

◆アイルランドで夕暮れに、故郷を思う『ホーム』 ー ライアン・シェリダン

 

 

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ワールドツアーをやれば大バコでも満杯にできる彼女が、なぜ路上にこだわったのかは分からない。鍵はおそらく「トータル」にあるんだろう。

 

とりもなおさず路上とは人々が行き交う場所。群衆の中でこそ匿名性を担保できる(エドガー・アラン=ポー『群衆の人』)し、孤独を感じ自らを顧みられる場所(堀田善衛『広場の孤独』)でもある。

ホモ・サケルに、被差別部落の謂でもある「路地」・・・キーワードはあれこれ浮かぶが、路上は交易の空間である。見知らぬ他人同士が砂漠で出会い、品物を互いに出し合う。売れるかどうかは全く予測できない。

マルクスの言を借りればそれは

 

「命がけの飛躍、暗闇での跳躍」

 

となる。

 

まず出してみる事。提示してみる事。マーケティングはいざ知らず、あとは「結果」に過ぎない。

そして交易は、共同体の外に出てこそ初めて成り立つ。路上はそんな場所である。

 

ドーバーの田舎に生まれたジョス・ストーンは10代でアレサにやられ(日本の女子高生が美空ひばりにやられるようなもの)てソウルミュージックに開眼し、たまさか世界へ出で得る位地を獲た。

ドーバーは、名探偵ポワロを見る限り、風光明媚で街も美しい。田舎特有の共同体もしっかりあるんだろう。

 

ただし当地は大陸を向いている。泳いでフランスに渡った向きもいくたりかある。

彼女はずっと海を眺めていたのではないか。岬に座って、腰を下ろして。

 

 

そして品物出してみた。すると跳躍できました、世界中で。

彼女が出した品物は、音楽という賜物であった。

 

実際に、世界へ出るのは良いことだ。でも出て行かれない向きも、音を聴き本を読むなら世界に向けて跳躍することが可能。売買するとしないとに関わらず。

まず、地べたに座って考える。「わたしはどこから来たのか。わたしは何者か。わたしはいったい、どこへ行くのか」(ポール・ゴーギャン)。

決して高みからではなく、低い視点でものを見る。自身と人とを。

次いで絵を観て本を読む。世界の何と美しいことか。

 

ジョス・ストーンの「トータル・ワールドツアー」は、そんな総合的な「ワールドツアー」を思わせる。今日も明日もワールドツアー。

土曜の夜に、こんなことを考えました。

 

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※ 前編はこちら。↓