死って実は祝祭じゃね? | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

英語のMoan、日本語の喪。ともに「悼む」という意味がある。が、黒澤明のオムニバス映画『夢』の最終話 ー 奇しくも笠智衆の遺作となった ー にせよボガンボスの『カーニバル』にせよ、死って実は祝祭なんじゃね?

 

これは必ずしも、有名人の訃報で〝謹んでお悔やみ申し上げます〝なんて当人もちろん遺族も見てないネット上に書き、要はクチャクチャ人様の死を消費する〝祭〝を指さない。そうではなくて本質的に、死とは祝祭なのではないかと。

 

先日、母教会のO女史が亡くなった。Oさんは1950年、ノルウェーからの伝道隊が神戸に教会創立して以来の初期メンバーで、お歳は確か90オーバー。礼拝には常に着物で参加され、朗らかながらもどこか目の鋭いおばあさまであった。

自分は親しく会話した事なかったし、葬儀も平日の午前中で不参加。ただ、映像を見たら霊柩車が遺体を乗せて教会を出る時、皆がこう叫んでいた。

 

「行ってらっしゃい、また会おうね」

「すぐに会えるからね〜」

 

そう手を振って。

 

キリスト教では、死んだ肉体は単なる物体に過ぎず、うちの教会にも墓は無い。特に希望しなけりゃ納骨堂すらも。

ではどうなるかと言うと、遺骨はある一定の場所に皆と一緒にぐしゃぐしゃに埋められるのです。ええ、もちろん行政の許可を得ています✌️

 

俺も死んだらあそこに埋まるが、それで全く差し支えない。できれば神戸港に散骨して欲しいけど、実際問題そちらの方が何かとヤヤコシイだろう。

 

大切なのは専ら「霊」。一般に霊というと〝幽霊〝〝亡霊〝等、彼岸に渡ってからの物を指すが、クリスチャン的に霊とは、まんま「命」を意味する。

ただしその命は、此岸と彼岸を一気通貫。つーか此岸だの彼岸だの仏教的な敷居はなくて、肉体は滅びても常に生きると、そう考える。

 

三浦綾子『塩狩峠』を引くまでもなく、他人のために死ねるのも、父と子と聖霊の下「永遠の命」があるからだ。

痛いのはヤだけど。

 

※「からだは死んでも魂は生きる」とは、三島由紀夫も言った事。が、三島さんのそれとはちょと違う。彼のは敢えて此岸と彼岸を強行突破する、観念の勢いというかダイナミズムと申しますか。陽明学的な思考であり、あくまで二つの〝岸〝を前提している。

 

で、ロビー・ロバートソンである。

 

バンド(ザ・バンドのことです)のギタリスト・コンポーザーで有名な氏は、O女史と同じ日に80歳で亡くなった。

死を祝祭とするならば、取り急ぎ次の2曲で送るのが適当だろう。

◆Shake This Town ー 91年、デヴィッド・レターマンショーより

 

 

◆ナイト・パレード

 

 

前者にはブルース・ブラザーズでお馴染みの顔が見えます。後者はとりわけ、ベースのガイ・プラット(ミュージカルMe and My Girlで有名なランベス出身)のプレイが光る。

いずれもラッパが最高だ。

 

というのも、アルバムStoryville はジャズの発祥地ニューオリンズはストーリーヴィルから命名したものだから。

 

 

コレな、クソ名盤ですぜ。

 

Moan・喪に反し、死を祝祭とまで断じたら抵抗感ある向きほとんどだろう。確かに人の死は、とりわけ近しい者の死はいたたまれない。俺にも経験はあるし、まず以って遺族の悲しみに寄り添うのは当然だ。

が、キリスト教を傍に置いても

 

「よく生きた。君は本当によく頑張った!」

 

そう喜んで差し上げるのも一つの考え方ではなかろうか。

不謹慎だの何だの世間体や同調圧力抜きにして、深いところで考えりゃ。

 

事実、黒澤さんも『夢』で斯く描いておる。

 

 

これまたそこはかとなくニューオリンズ的の・・・

 

ーーー

 

こんな事を説く俺は、夜に街角でひとり、信仰を説く説教者に過ぎない。

誰も立ち止まらないし耳を傾ける者もない。その様あたかもドン・キホーテの様である。

 

◆Soap box Preacher (ニール・ヤングがコーラスつけてます)

 

 

しかし彼の靴は喜びに満ちて踊り出す。主イエスが言われた通りである。

 

「わたしのために罵られ、迫害され、身に覚えのないことで悪口を浴びせられるとき、あなた方は幸いである。

喜びなさい。喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。あなた方より先に来た預言者たちも、同じように迫害されたのだ」

 

ー マタイによる福音書 5章11-12節

 

Moanにせよ祝祭にせよ、あれこれ考えてみる事は、普段から「死」を思わず考えもしない者より多少はマシじゃなかろうか。脳を1mgくらいは使っているし。

 

ロビー・ロバートソンもまた、死といふものを問うたのである。自身の出自たる、ネイティヴアメリカンを通じて。

◆ゴーストダンス

 

 

近々また会おうぜ、ミスター・ロバートソン。