ラーメン的に、ジャニー氏の | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

よく食べるラーメンは?

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なんか、こういう・・「何とか的に何とか」みたいなの、もう止めない? なぁ自分。
自分で書きながら自分でウンザリしてるのだが、皆さん、こんないかがわしいブログに騙されちゃ駄目ですよー
どうせ脳を1mgも使ってないんだし。
 
さてご下問に答えますと、もちろんラーメンすね。
 
「よく食べるラーメンは?」なる問いの答が「ラーメンすね」。頭がおかしいとしか思えないんだが、実は福岡人にとってラーメン=博多ラーメン。いっぽう札幌ラーメンは「札幌ラーメン」、喜多方ラーメンは「喜多方ラーメン」と、他所のものには必ず当該の土地の名前がつくのです。
ゆえに、単に「ラーメン」というならそれはThis is 博多ラーメンを指します。
 
(いちいちメンドくせぇんだよおまえ)
 
・・・心の声は無視をして、今でこそ福岡でも久留米ラーメンだの筑豊ラーメンだの突如出現いたしましたが、もともとそんなものは無い。いや、少なくとも久留米には久留米なりのラーメンはあったんだろうが、それを敢えて「久留米ラーメン」などと呼びはしなかった。
理由は幾つかあって、
 
1、ブランディングをすることで客を呼び込み利益を上げる。
2、いっぽうそれは(全国共通)近年の傾向。どこの土地でもラーメンは所詮ラーメン。安く身近な食べ物であり、わざわざ「どこどこラーメン」などと自己主張せずとも、それで充分成立していた。
3、上記の伝で言うならば〝敢えて〝じゃなく全国的に自然にあったのは、博多のラーメンと札幌ラーメンくらい。福島の喜多方ラーメンすら、ここ3-40年以内のネーミングじゃね? 少なくとも全国区になったのは。
 
以上つらつら考えるに、やれ久留米ラーメンだの筑豊ラーメンだのと言わざるを得なくなったのは、地方がそれだけ貧しくなったのその証左。金がもっぱら東京名古屋、せいぜい大阪に集まり、田舎にゃ全く行き渡らない。
東京は東京で過当競争著しいが、地方の競争は〝過当〝にゃ全然至らない。せめて我が国に来日を、ほんのちょっぴりでイイからさ。お金を落としてくれんかね。
 
地方交付税交付金も、国が何だかんだ言うて削りまくっておる昨今。大都市圏と田舎との格差は広がるばかり。
JR北海道(やJR四国)の惨状なんか、目を覆うばかりでしょ?

※ 民間企業も地方自治体も同じだってば。「地方」であるなら、そこに敷居はない。

 
政府の政策も、野党込みで国会議員のアレコレも、むろん中央官僚も、如何なものかと思います。だって「国家」だぜ?
 
ラーメン話から遠く離れて。。。
 
しかして自分がジャニー喜多川の性被害問題から何を思ったか。
 
「義理と人情はかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」(by 山下達郎)
◆音は当然、唐獅子牡丹。

 

 

続き。

 

「でもさ。マッチじゃないけどあんなこと、みんな随分前から知ってたじゃん。それをジャニー喜多川死んでから、随分経って今さらジロー。

今さらつーか、生きてる時に何であからさまにしないの? その時点でドッチラケ」

 

批判のきっかけって英国BBCのドキュメンタリー番組でしょ? つまり「外圧」な訳で。

 

外圧無くして日本は変われぬ。(明らかな憲法違反の)集団的自衛権を容認したのも元々は日米防衛協議の2プラス2だし、ジェンダー問題しかり、ひいては女子トイレと男子トイレを、さてどうしますか。プールの授業じゃどんな水着が妥当でしょうか。。。

 

いずれも「外」から。世界に向けて自己発信・問題提起ができないのである。それがニッポン、チャチャチャのチャ♪

 

むかし『おもちゃのチャチャチャ』という歌があってだな。

 

 

夜空に煌めくお星さまを眺めるのは良いことだ。日々ハッピーであるのは良いことだ。

でもなぁ。。。

 

世界をリードしろとまでは言わん。が、せめて10年に1回くらいはなんか発信してみ? 結果はともあれ。

ジャニー喜多川問題を通じ、ワタクシはそんなことを思いました。

 

ラーメン=博多ラーメン。すこぶるナショナルである。そして地方も大都市も、同じ〝日本(ニッポン)〝で御座います。

いずれにしても「国家的」。ただ少なくとも発信はしてるよね。そこんとこ、夜・露・死・苦。

 

ーーー

 

ここは一発、達郎氏で

◆Bomber(1979)

 

再三申し上げたとおり、山下の達っつぁんは日本のファンクでありました。この頃は。

そしてファンクとは、まさしく黒人音楽であります。米国の、差別されまくりのアフリカ系アメリカ人からファンクもR &Bも生まれた。

 

山下達郎氏の今般の発言/振る舞いからは、少なくともそんな「(害を被った)弱者に対する眼差し」は感じられませぬ。

 

◆未だ梅雨ゆえレイニーウォーク(1979)。

 

 

ユーミンもそうだけど、若かりし頃にはちゃんと分かり、何なら尖っていたものが、年を取ったら脳が硬化。自分の足元しか見られなくなり、ひたすら昔ながらに〝義理が重たい男の世界〝状態。

うむ、気持ちは分かるぞよ。義理は確かに大切だ。

 

でもそれは決して任侠道ではない。

 

任侠道とは何か。ひとことで言うなら「弱きを扶け、強きを挫く」ものである。いかにジャニー喜多川氏に恩義があろうとも、今こそ敢えて。

しかもかつて山下の達っつぁんは、黒人さんに寄り添っていたのだ。音を通じて。

 

ーーー

 

「古い者だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもので御座います

今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」

◆鶴田浩二 ー 傷だらけの人生(昭和45年)

 

 

 

山下達郎氏の批判では、決してこれはござんせん。ただ寂しいばかりで御座います。
だってあんた、〝Remember Me〝言うてはったやん。僕を忘れないでね、と。
 

 

俺は往時のあなたを覚えていますよ。あなたの楽曲、大好きでした。
おそらくこれからも好きなんでしょう。
 
でも、ただそれだけ。
 
ファイル0146.jpg
 
それだけで、イイっちゃイイんだが。うーん、この🤔