今日はめでたい、春の天皇賞。新装なった淀のターフにお馬さんがいっぱい。
早速レースをご覧ください。
◆第167回 天皇賞(京都芝外回り・3,200m、G1)
1,000m通過が59秒7。パンパンの良馬場なら平均ペースだが、雨残りの馬場なら若干速めか。
でも2,000m で2分2秒台なら、ハイペースとまでは言われない。
1番人気の馬は3コーナー過ぎからずるずる下がる。騎手はほとんど競争やめておる。
よしんばハイペースだったとしても、また、アイアンバローズに外からプレッシャー受けたとしても、前者なら彼(タイトルホルダー)は元来、速い流れを厭わぬ馬。後者だとしても、精神的にそんなヤワな馬ではない。
故障としか考えられないが。。。
勝った馬はじっくり構え、いつもより幾分後ろ。他馬が動いても焦らず騒がず。
このあたり、さすがはルメール。上手い騎手の条件 ー なんなら全然ジョッキーじゃない我々も、日々の生活において ー の1つは、
「トラブった時こそ、決して焦らない事」
焦ると却って事態が悪化するので。
頭は冷め覚め、心は熱く。これについては先日、ポーの『メールシュトロームの大渦』等を引き、とりわけ若い衆向けに書きました。社会人デビューの諸君に。
状況を、先ずはじっくり観察せよと。そうでなければ対策を間違うだろうと。
かのゴッドファーザー、ビト・コルネオーネは言いました。
「敵を憎むな。憎むと判断を誤る」
感情に流されると判断を誤る。真に相手を敵だと思うなら、なおいっそう。
閑話休題。
我らが阪神タイガース、ここんとこずっと、捕手に坂本誠志郎を使っておる。そして坂本がマスクを被ると、梅野に比して勝率がぐんと上がる。
ところが岡田監督は「明日(つまり今日)は坂本使わずに、梅野使うわ」。
これに対して阿呆のヤフコメ民は
「いやそれ違うでしょう。せっかく坂本で波に乗っているのに」
ここまでは、うむ。わかる。
が、
「それって梅野に対する温情じゃね?」
確かに梅ちゃん絶不調。打率は1割を切って久しいし、キャッチャーとしても配球に、オレも疑問がありまくり。
坂本の方が味な配球をする。いっぽう、梅野は〝力任せ〝。
※ワタクシ数年前から、斯くなる梅野のリードの問題点を指摘してました。谷繁チャンネルのコメント欄とかで♪
では、某ヤフコメ氏の〝温情〝発言がなぜ阿呆であるのか。
物事を、瞬間的にしか見ていないからである。脊髄反射。
ペナントレースは、まだ20試合ちょっとを消化したに過ぎない。残りあと、120試合もある。
キャッチャーが坂本であれ梅野であれ、長坂であれ栄枝であれ、長いシーズン1人では保たない。先ずこれが大前提。
次に、保たせるためにはどうしたら良いのか。複数人で回すしかないが、トータル的に、今どうするべきか。まだ早い、この段階で。
絶不調の梅野をいま下に落として坂本頼みとするか。それとも使い続けて復活を待つのか。
ここは論の分かれるところだろう。
岡田監督は後者、ヤフコメ氏は前者。どちらが正解かは、シーズン終わって初めて結果が表れる。
ただ、いずれにせよ、梅野への「温情」でない事だけは確かである。
岡田彰布といふ人は、そんなに甘い人間ではない。目的はあくまで優勝、そのためには ー 彼の本質的には ー 選手の1人や2人、切り捨てても止むなし。本来はそんなお人である。
※前回監督した時の、JFKをはじめ江草や何か、あのピッチャー使い倒し事件を見ても。
※ただ、氏のミッションは今回「優勝」だけではない。〝次の監督に繋ぐ〝事だ。なれば選手を潰すわけにはいかないが、それもまた「温情」などではない。ビジネスである。
いかな最年長とはいえ梅野はまだ32歳かそこら。脂の乗り切った歳。これから先が長い・・・というのは、梅ちゃん自身もそうだけど、何より組織(阪神タイガース)にとって。
梅野は重要なピースなのだ。世人にディスられようが、先ずは使う。そしておそらく、彼はより一層の窮地に立たされる。
これを非情と言わずして、何と言おうか。
ひと試合、ワンプレーだけで、あるいは今の成績だけで脊髄反射するなちゅー事。佐藤輝明もそうだが。← ようやくホームラン出始めましたね♪
中長期的に俯瞰せよ。岡田彰布と矢野〝脊髄反射〝燿大の、これが大きな違い。大人とガキの違いである。
※余談だが、いっぽう玄人は、ひとつひとつのプレーに岡田野球を推し量ったりもする。ヤクルト戦で9点もリードしてるのに、ピッチャー伊藤将司に送りバントをさせたのはなぜか。
単なる気まぐれか。それとも徹底的に相手を殲滅し、戦意を挫こうとしたのか。村上宗隆が不調であるのに託けつ。
勝利監督インタビューでメディアの人にはここを聞いて欲しかったんだが・・・やっぱ無理か。
話が逸れ過ぎました。。。
天皇賞、白いお馬が3着でワタクシ予想はいちおう当たり。↓
ワイドで10倍も付くですか。めっちゃ美味しいなぁそれ。
もちろん馬券は買ってないけど。
2着の馬はオミットしました。さすがに年じゃね? って。
彼、ここ数年ずっと2着なんだってね。パワーの要る馬場(ここ数年は仁川でした)で先行したら、まだイケたちゅーことなんでしょう。
ーーー
さて、今日も母教会へ。
牧師の説教は割愛つーか、別途紹介することにして、壮年会の聖書研究。これまた予想どおりのジャスティンパレス、もといロマ書ではありました。
ただし。
聖書を読むのではなく、こんな映画の鑑賞会。
◆パウロ 愛と赦しの物語(2018)
サムネは向かって左がパウロ、右がルカ。
パウロ(英語読みではポール)はもともとサウロと言って、キリスト教徒を迫害しておった。厳格なるユダヤ教徒であり、キリスト教なぞ異端だと。「イエスが救世主? 何がメシアだよ低脳。ったく、いかがわしいよなあ」。
唯一絶対たる、父なる神を冒涜するものであると。
ゆえにクリスチャンを殺しまくった。
彼はローマ帝国の植民地たる当時のイスラエルに於いて、珍しくローマの市民権を持っていた。
要は勝ち組・上流階級。ちなみにIQは150くらいあったらしい。
そんな氏が、なぜコペルニクス的転回をしたのか。
キリスト教徒をブッ殺しにダマスカスへ行く道中、前をカットされた。競馬的には不利を受けた。
もはや勝ち負けにはならんのだが、つまり、キリスト=イエスと出会ってしまった。ガチで。
「サウロよサウロ、なぜ私を迫害するのか。
心の眼を開かせてあげよう。それまで君は、眼を閉じよ」
真っ白な光がパウロを襲い、彼は盲目になってしまった。
それから数日後。
イエスの預言どおり、ダマスかどこかで指定のお家に行きますと、あら不思議。眼帯取ったらいきなり、彼ははっきり目が見えるように。
眼といふのは肉体的物理的の「眼」に止まらない。心眼開かれパドックで、どの馬が勝つのか。そんな事まで。
ちゃんと聖書の『使徒行伝』に、そう書いてあります(半分はウソ)。
パウロは、イエスの奇蹟を見たからコペルニクス的転回をしたのではない。不肖ワタクシも経験ありますが、アレはですね。何というか・・・
まるで母親の胎にいるような、そんな心持ち。
安心安全、安寧秩序。安らかでゆったりしていて、もはや怖いものなど何も無い。
自分はかつて、俺を守ってくれているのは祖父ちゃん祖母ちゃん御先祖様の霊だと思っていたし、それも否定はできないが、主イエスに神戸の夜に出逢ったとき
「ああ、あなたでしたか」
と懐かしく。
そこで氏は、ひとこと。
「お前のことを、ずっと昔から知っていたよ」
来ましたねー。オレ、真夜中に滂沱たる涙。
単なる夢じゃね? そう捉える向きはあろう。しかしアレは・・・25年経った今でも、正しく「経験」であった。いやマジで。
自分は論理や知性を重んじる。なので理屈に合わない事を、むしろ蔑視する。そんな傾向がある。
が、あの経験は問答無用。論理に知性、人智を超えていた。
キリスト教には、膨大な体系がある。聖書をはじめ、アウグスティヌスにスコラ哲学、なんならドストエフスキーにトルストイ・・・
論理は、神学もちろん大切だ。でないと、狂信・カルトに陥る危険性がある。
ただ、論理だけでは信仰までには至らない。スピリット(精神。心の奥深いところにまで響く魂)が必要。
パウロ氏も、そんな経験されたのだろう。
この続きは、また明日ということにして(えっ?)、今日も音楽を。
◆またぞろアレサで ー Freeway of Love
フリーウェイ・オヴ・ラブ❤️
そういえば、今日は牧師の説教も「自由について」であった。キリスト者の自由。
しかもくだんのパウロ映画は「愛」。奇しくも。
かくして壮年会の集まりは、聖霊なる神に満たされておった。その愛に。
だってめっちゃ気持ち良かったもん。心はつるつる、そして楽しかった✌️
信仰とは、ひとことで言うと「楽しい」ものである。
ある意味宝塚歌劇も同様。
◆宝塚歌劇を彷彿させる ー ガガ様で〝Born This Way〝
4月のラストソングは、えーっと何にしようかな。
やっぱコレじゃね? クソ讃美歌の。
◆ジェフ・ベック ー People Get Ready(再三)
と、いうね。