宝塚大劇場を望む、例の大橋渡るとこ。ふと下を見たら
「生」
といふ石積みが見られたり、見られなかったり。
震災の数年後、大野さんという芸術家が、ふと武庫川に石を積み始めた。爾来これは阪神淡路を祈念する、関西の一大スポットとなっておる。
「生」すなわち「生きる」。震災で亡くなられた方を追悼するのはもちろん、生きている我々も、決して死んではならない。なぜか。
キリストの神が我らを造られたからだ。
俺たちは、自分で生まれてきたわけじゃない。父母がアレして(!)まぁできたのだが、それにつけても父母の、DNAを何と受け継いでいることよ。
犬も猫も競争馬も、そして人間も、祖先のDNAを繋いでおる。むかし、ノーベル生理学賞だったっけ。アレをゲッチュした利根川博士と立花隆の対談本『精神と物質』を読み、友人にも薦めた。
未だ書棚にあり時々読み返しているが、内容ほとんど忘れた♪
ただ竹内久美子の〝我が儘な遺伝子〝? あれはめちゃくちゃいかがわしく、全然科学者ではない竹内はスピリチャル。ゆえにシステム的にウヨ化したのだが、いっぽう利根川先生のは至極マトモ。
DNAとRNA、その仕組みや役割を、すごくわかりやすく語っておられます。ぜひご一読を。
RNAがわかればコロナとワクチンがわかる。そうしてこの複雑な仕組みは、自然に出来たものじゃない。
自然にほっといて、DNAやRNAができるか?
要はなんらかの意図が働いたつーこと。利根川博士は直に言及はしないけど、当該書籍を読むと、うーん🤔 そんな感を強くすること請け合い。
※氏がクリスチャンかどうかは知りません。
「祖先があって、自分がいまある」なんて一般的なことは申しません。ただ、数十億の細胞が日々一所懸命働いて、心臓君たら延々ドキドキし続ける。
こんな凄い我々の身体を、たかが女に振られた、たかが貧乏・食い詰めた。たかが借金1億円・・・そんな程度で棄損して良いものであろうか。
信仰の薄い者よ、悔い改めよ。君は神を侮辱している。
福音書にもある。「下がれサタン! お前は神を思わず、もっぱら人のことを思っている」。
ここで言う「人」とは、ただただ「今」の己だけを考える者の事。絶対者あるいは人類始まって以来の祖先が、脈々と君に命を繋いだことを思わず、やれ「これはもう、彼女を殺すしかない」
だの、「借金取りに追われて、もういけない。死のうかなあ」だのと考え、実行しちゃう者の事である。
低脳。
阪神淡路も東日本のアレも、決して死にたくない人々が亡くなった。殺人者や自殺者 ー 自殺するのも無論殺人であります ー は、上記の点において「ちょっと違うんじゃね?」。
そう思う、コンニチであります。
では音。
◆再三オーティス。サンフランシスコはウイスキー・ア・ゴーゴーにおけるライヴで
「ああ、もう1日あれば」という。。。
◆続いてJB。Lost Someone
Lost Someone。君は、君を失った人の悲しみを、少しでも思ったことがあるか。
というわけで、またもやオーティス。ちょっと和訳してみました✌️
最初は君の方が僕を愛していた
僕は盲目で、それがわからなかった
ところが君が死んでから、僕は泣き続けている どれほど泣いたことか
井戸が枯れ果てるまで、人は水を恋しく思うことはない
◆You Don't Miss Your Water
ちなみに前回のお話はこちら(↓)