大仏に触れたことある?
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夫から奪い取った女がとんでもない奴で。
わたしはヤられて、あんたが好きになったの。ついてはこんな山の中はイヤ。都に行って、派手な暮らしがしたいわぁ。
あたしってば、人形遊びが好きなのよね。とりわけ、貴族と少女との組み合わせ✌️ あんた、貴族と若い女の子との首を、持ってきてくれない?
むくつけき山賊は山を下り、京都で直ちに両者の首を斬って、新女房に持参する。彼女は嬉々として首遊びす。
そのうち首は腐ってくるが、女房は貴族の首と少女の首を両手に持ち、「な、イイだろ?」「いや〜ん」など会話させつつ、いっそう楽しそう。
気持ち悪い? そう思うなら、あなたに文学的感性はありません(きっぱり)。
山賊は、かくなる女房のありようを見てだんだん疲れてくる。都もいいけど山に帰りたいなあと。
女房は頑として拒否。あんなところにゃ戻りたかない。だって何にもないじゃないですか。
が今や夫たる山賊の勝ち。女房を背負い、彼は桜満開の山道を走る。坂に谷、上って下って。
山を登りきったところに、桜の木がある。かつて、女房とその夫を襲った木の下である。
「桜が咲くと、人々は酒を持ち出し花を愛で、宴会など致しますが、花の下は空気が冷えてピンと張り詰めていて、実は虚空なのであります」
「花の下には涯てがない」
女房背負って山を走り続ける山賊。桜の森の満開の下、女房は骸骨になり、桜の花びらと化す。
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悔恨は、常に人につきまとう。俺にも自分自身の、許せない過去があります。
いかな若気の至りとは言い条、何であんな判断をしたのか。自分に力が無いならば、どうして人に「助けてくれ」と言わなかったのか。
人様にヘルプを求めるこそ、真の勇気じゃなかったか。
20代当時、自分は迷いに迷い、結局己が利益を図ってしまった。それで人に、一生負えない傷をつけてしまった。
不肖ワタクシの根本は、そこです。後年、キリストの神に誘われ、洗礼を受けたのもかくなる所以ではあろうと思う。
父母の時代は敗戦後すぐ。日本人はほぼ全員貧しかった。
が、俺らの時代はバブルの前。時代が違う。
いずれも言い訳っちゃ言い訳。要は、坂口安吾じゃないけれど
「おまえさ。偉そうなこと言ってっけど、実はこんな心底じゃね?」
そう見抜かれると言うね。
文学は、ドストエフスキー、ボードレールやカミュ、コーマック・マッカーシーにせよ漱石鷗外、あるいは安吾にせよ、人の心を抉ります。だからこそ素晴らしい。
本当のこととはいったい何か。
ゆえにワタクシ、文系理系を問わず「文学をこそ、学校教育大学教育の必須科目・ど真ん中に置け!」。そう主張するのです。
だって、はあ、「人間」がわからなきゃ金儲けだって政治だって出来るはずないじゃん。
よしんば出来てもそれは「たまたま」。自分の努力だけでは決してない。そこを勘違いしてはいけない。
大仏さんから文学まで。鎌倉は長谷寺の大仏か、あるいは奈良東大寺のそれか。
それは君ら自身が決めることでしょう。
◆今日も今日とてボ・ガンボス。Nokkoちゃんが歌う『最後にひとつ』。
仏や神は実在します。だから私たちは、いかな罪を犯そうとも救われるのです。