犬を飼い始めた友達の家に寄ったことを、蓮は後悔しはじめた。


人なつこい子犬に時間をたつのを忘れてしまった。


なんで今日に限ってこんなに夕暮れが早いのか…なぜあんなに不吉な色なのか…。


あの角を曲がれば家なのに。その角がどんよりと暗い。


暗くかげった車庫と電柱の間に小さい手が見えたような気がして、蓮は足をとめた。


「ふう…」


こういう時に限って、まわりに人影はない。




『蓮はあんまり見えないのに、想像力がありすぎるの。そんなんじゃ引き込まれちゃうからね。怖くなったら陽菜の近くに行きなさい。気にならなくなるから。』


夕奈は中学校まで陽菜と手をつないで学校に行き、毎日のように二人でいたのに、高校は別なところに行ってしまった。


『一生くっついていられるわけじゃないから、そろそろ陽菜ばなれしなきゃ。』


蓮と二人きりのときに夕奈は笑いながら、そう言った。それでも週末には互いの家を行ったりきたりしている。





ふう、と陰が蓮に向かって広がってきた…気がした。蓮はくるりと引き返して、別な道から帰ろうとした。


「蓮!」


ふりむくと陽菜が立っていた。


「遅いじゃん」


走ってきた陽菜で、暗く陰った車庫と電柱が見えなくなり、そして次に見えたときは影はあってもさっきのような陰はなくなっていた。


「翔太が犬飼ったから見に行ってた。」


「へー、かわいい?なんて名前?」


「ポチ、名前で妹とケンカになって、お父さんがポチにしちゃったって。」


「あはは、いいじゃん。最近ポチなんていないよ」


玄関の前で空を見上げた陽菜は「明日も晴れだね」と、蓮を家の中へ押した。



2~3日前から急に日暮れが早くなってきた。


5時すぎるとあっという間に暗くなる。


あせた青空と、あやしいピンクとオレンジのまだらな空は十分明るいのに、地面の上までは照らしてくれない。


(嫌な空…)


陽菜(ひな)は自分より帰りの遅い弟のことを考えた。



6歳下の蓮が、自分には見えないものが見えると気づいたのは、陽菜ではなく夕奈だった。


初めて幼稚園で同じクラスになったとき、「陽菜ちゃんと夕奈ちゃんは双子ちゃんかな?」と先生が聞いたらしい。


「顔も似ていないし、苗字だって違うのにねぇ」と母親同士が何度もその話をする。


その後幼稚園から小学校6年間を同じクラスで過ごし、毎日のように遊び、姉妹のように育ってきた。


蓮が産まれたときにはもう友達だったのだから、夕奈も蓮のことを弟のようにかわいがっている。


「いや、きっと本当の弟だったらかわいがらないと思う」と夕奈は言うが、そんなことはないだろうと陽菜は思う。




あの日、夕奈は幼稚園から帰ってきて一言もしゃべらない蓮に、


「どこに見える?」と聞いた。


「あっちの水色の朝顔が咲いてる家のとこ」


小さい声で言った蓮を待たせて、夕奈と陽菜は柵に朝顔をからませている近所の家まで行った。



すでにしぼんだ水色の蕾を見ながら夕奈は、


「ひいちゃん、もう何もいないよね。」と言った。


いるもいないも何のことかわからない陽菜は、


「うん、なんにもないよ。何にもいないのに、蓮は怖がりなんだよ。」


と答えた。




「怖がりじゃなくて…まだ小さいからなんでもないことも怖く感じちゃうんだよ。」


そう言った夕奈も、5年生にしては小さかった。


「ひいちゃん、蓮に『なんにもいないよ』って安心させてあげてね。」


夕奈は陽菜の手を引いて足早に蓮の元へ戻った。



夕奈や蓮に見えて自分に見えないものがあるなんて思ってもいなかった陽菜は、


「何にもいなかったよ。全然大丈夫だよ。」


と、少々大きめな声でまっすぐ蓮に向かって言った。



まだ考えている風な蓮を見て、夕奈が


「ひいちゃんが大丈夫って言ったら絶対大丈夫なんだよ。夕奈もそれで大丈夫になるの。」


と言うと、蓮はふっと安心した表情になった。




あのときは蓮が何を不安に思って、夕奈が何を言ってるのかよくわからなかった。


そして今でもあまりわかってないのかもしれない。


(は~や~く帰ってこないかなぁ。)


陽菜は窓から夕暮れを見続けた。




蓮(れん)の最初のその記憶はまだ幼稚園の頃。


まだ母親と手をつないで歩いていた夕暮れ、なぜあんなところに首があるのだろうと思った。


見上げた木の上のそれは、髪の毛がからまったままひからびた首のように見えた。


しかし、それと同時にあんなところに首があるはずもないことに気づき、母親にその質問をしないですんだ。




昼間はなんとも思わない木の上の鳥の巣は、薄暗い帰り道に不吉に見える。


蓮はもう母親と手をつなぐ年でもなくなったのに、はるか頭上にある鳥の巣を見かけて、ふと自分が小さい子どもに戻ったような気がした。



あれが首だとしても、自分を見下ろしているわけではない。


うすぼんやりとした目を空にむけて、枝にからまった髪をじゃまに思いながら暗闇で月を見るのだろう。


あの場所じゃあ、昼の光はまぶしすぎるに違いない。




そんなことを考えながら白樺の横を歩く。



「これから急に日が短くなるんだから気をつけなさいよ」と、2~3日前に姉に言われたのを思い出した。


空はまだ明るいのに、家や道は影になり、沈む。


夏の夕陽はギラギラとまぶしいのに、秋の夕陽はなぜこんなに暗いのだろう。



早く家に帰らないと…。


蓮は夕陽を背に歩き出した。



夕焼け