前々から何度も書いているので、「またか!」と思われる方も多いと思いますが、また書きますw
まず、前提として申し上げておきますが、当流は法華茶であり、禅茶ではありません。
茶=禅というイメージになったのは、江戸中期ごろからです。それまでは禅が取り上げられることはあっても、現代のように禅一色ということはありませんでした。
というのも、禅宗はそれほど大きな勢力を持っていなかったんです。
茶の湯の開祖だと思われている「村田珠光」は浄土宗の僧侶で、「武野紹鴎」は禅宗で得度していますが家は浄土真宗ですし、「千利休」の家も実は法華宗を信仰しています。
藪内家は浄土真宗と繋がりが深く、松永弾正も法華宗で、北向道陳(利休の最初の師)や、利休に小壺大事を相伝した辻玄哉も法華宗です。実は細川京兆家や三好氏も法華宗を信仰しており、この時代の京の商家は法華宗がほとんどであったとも言われます。
京都で一大勢力になった法華宗は、比叡山延暦寺が武力を振るって壊滅させたため、地方に散らばったといわれます。
ちなみに、信長が死んだ本能寺も法華宗の寺です。
能阿弥は長谷寺でその生涯を終えたと言われていますし(長谷寺は真言宗豊山派で護国寺と一緒です)、志野流香道の蜂谷家は報恩寺(浄土宗)を菩提寺としていますし、室町時代は八宗兼学(※)や四宗兼学が広く実践されていた時代であり、家の菩提寺と個人の帰依が別宗派であってもあまり気にされていなかった時代でもあります。
ちなみに珠光の弟子とされる古市澄胤は興福寺の門徒で、法相宗になります。
ですから、茶道においてはことさら禅を強調する必要はなく、「美味しいお茶」と「もてなし」を重視することが大事だと考えています。
先日の「お茶会へ行こう」でも話に出ましたが、「利休のころはどうであったか?」に正解はあっても、「現在の手はそれぞれの流派によって正解とされているので間違いはない」ということなんですね。
私はその中でより美味しいお茶を点てるためにはどうしたらいいか?を考えて自分で変えていますが(点て方は)、作法は流儀に則っています。
それと、昨今、珠光や利休を「侘茶の〜」と呼んでいるのを見て、「侘数寄の間違いだろ?」と感じております。「侘茶」というのは、現在の表千家の茶風で、始めたのは宗旦であり、珠光は侘びた下手の漢作唐物を取り上げて道具として用いた「侘数寄」の開祖であり、その後紹鷗の茶に埋もれた侘数寄ですが、利休はそれを推し進め「侘数寄中興」となります。その後、宗旦が侘を突き詰めて唐物(広義の)を使わない侘茶を拓いたといえば分かりやすいでしょうか(あくまで分かりやすく言っているだけで違う部分もあります)。
みなさんも「茶といえば禅」という先入観から解き放たれて、広く仏教を学んでみては如何でしょう?
※八宗とは、天台宗(日本における開祖:最澄)、真言宗(開祖:空海)、日蓮宗(開祖:日蓮)、曹洞宗(日本における開祖:道元)、臨済宗(日本における開祖:栄西)、浄土宗(開祖:法然)、浄土真宗(開祖:親鸞)、時宗(開祖:一遍)のことで、これらを総覧してそれぞれの宗派の教義を併せて学ぶこと。

