本日は旧暦正月十一日。乙巳年戊寅月戊申日。

 

 鏡開きです。

 鏡開きとは、江戸時代に鎧などの具足に備えた具足餅などを下げて雑煮にした行事で、「刃柄」を祝うことから廿日に行われていたものが、廿日が家光の月命日に当たるため、これを避けて十一日に行われるようになったもの。

 江戸以外では廿日が一般的で、幕領では江戸の風習が広がっていったため、廿日に鏡開きを行うのは、京都や大阪などの西国の多いと言われています。

 女性が鏡台に備えた鏡餅を開くことを「初顔を祝う」といったそうで、これらは「刃柄を祝う」とともに武家の風習が一般化したものです。

 刃物で餅を切るのは切腹を連想させることから、手や木槌で割り、「切る」「割る」という言葉を避け、「開く」という言葉を使います。鏡は円満を、開くは末広がりを意味し、共に祝いの言葉でもあります。

 また、鏡餅を食べることを「歯固め」ともいうそうで、固くなった鏡餅を食すことで刃を丈夫にして、年神様に長寿を祈るのだそうです。

 新年の開くですから「山花開似錦」とか、「一花開天下春」とか「一花五葉開」などのお軸がいいですかね。

 開いた道具で金継ぎをしたものを出すというのも趣向になるかと思います。

 高麗台子で皆具をしようとすると、杓立で困ることが多いのではないでしょうか。

 

 なんとか杓立から前柄杓で取り出せる寸法は四寸半(約14cm)以下の高さが求められます。

 

 そこで思いついたのが「口を斜めにした杓立」です。

 

 現在所有している高麗皆具を短くしようとして、色々考えたのですが、どうせ切るならば「斜めに切ってしまえばいい」ということです。

 

 これならば、後ろに重心を残すことができますし、取り出すところだけ低くできるわけです。


 但し、都流は前火箸なので、火箸が倒れすぎるのは良くありません。そこで、斜めに切るにしても、段をつけて、火箸留めを作り、その下に柄杓留めを作るようにして、鶴が下を向いたような意匠にしたらよいのではないかと。

 

 ちょっと別のもので実験してみて、よければ、そういうカットができないか、道具屋さんに相談してみましょう!


購入先:ヤフオク
購入額:★★★★★☆

 一般に利休好は黒塗とされていますが、こちらの品は溜塗で、文様がありません。

 蓋裏に花押があるのですが、誰の花押か分からないのが難点ですねぇ。

 香次とは、香炉に火舎を被せたものを云うらしく、その形に似ていることからの命名だそうですよ。


 また、淡々斎好香次棗は溜塗で天に独楽の蒔絵が施されたすっきりとした薄茶器です。

 暖かみのある溜塗ですので、個人的には春に使いたいですね。「弄花香満衣」のお軸に添えたいところです♪

 ただ、利休好は黒塗の香次棗であると言われており、私もそうだとは思うのですが、ここにはしっかりと【利休好】と書かれています。

 これはどういうことなのか?

 作家さんの勘違いなのか、発注者の勘違いなのか。もしかすると、利休の前に好んだ人が居たのか……どうなんでしょうね!

 井筒寛斎はおそらく輪島の作家ではなく、山中塗の作家ではないかと思います。漆器では輪島が一般には有名ですが、茶道の世界では山中塗の堅牢さと質実剛健な漆が愛されています。私の好きな作家さんも輪島ではなく山中塗の方が多いです。

 都流では、炉の台子で使う柄杓は月形で、火箸は桑柄です。

 

 これは、おそらく「奥秘に炉の点前がない」ことと、蓋置・建水や火箸を台子から下ろすことと関係があると思われます。

 

 台子ではなく皆具の使える大棚として扱っているといえば分かりやすいかもしれません。

 

 江戸千家さんの記事に「唐物の書物に、「~但し炉の時は四畳半にても台目に居る」とあり」という文章があってああ、なるほどね。と思ったものです。

 

 この場合の「台目」は「台子」の意味で、台子の置かれる目の方、つまり昔は台子の置かれている場所を台目と言っていた事がわかります。

 

 それと、表千家さんでは、炉でも真台子大をお使いになられるそうですが、これは、如心斎が不白に真台子小を贈ったことから、表千家さんでは以来炉でも大をお使いになるようになったものです。

 

 本来は炉用の真台子小を使います。

 

 面白いのはこの不白が下賜された真台子小が、江戸間用真台子として現在売られていることです。

 

 本来、真台子大と真台子小は点前が異なるのですが(真台子大は蓋置と火箸は台子の上で用い、特に火箸は杓立から抜かない<使うときだけの使い取りです)、真台子小が席捲した結果、点前が同じになってしまったようです。

 

 点前というのは、何が間違っている、何が正しいというものを決めるのは流儀であり、他流のことは現状それで正しい。

 

 ただし、元々はどうであったのか?は理解すべきですし、それがどうして、どんな理由で変化したのかは詳らかにしておくべきです。

 

 そしてそれを後世に伝えることこそが、我々茶道家の使命と心得ます。

 

 本日は旧暦一月七日。乙巳年戊寅月甲辰日。人日、七種の節句です。


 五節句の一つで、一月七日になります。霊辰、元七、人勝節ともいいます。

 この風習は、中華の風習で、正月元日が鶏の日、二日が狗(犬)の日、三日が猪(豚)の日、四日が羊の日、五日が牛の日、六日が馬の日とし、それぞれの日にその動物を殺さないようにしていたもので、七日を人の日として、犯罪者に対する刑罰を行わないようにしていたそうです。

 また、この日には、七種類の野菜を入れた羹(あつもの)を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七種粥になりました。

 七種粥の風習は、平安時代に始まり、江戸時代より一般的な風習として定着し、江戸幕府が定めた五節句(公式行事として)によって、七種粥を食べて人日の節句を祝うようになります。

 現在は「七種(ななくさ)」ではなく、「春の七草」と書く場合が多いですが、本来は七種と書きます。これは、春の七草が草ではなく、野菜であることを意味しており、七種類の野菜ということになります。

 芹(せり)
 薺(なずな)
 御形(ごぎょう)⇒母子草(ははこぐさ)
 繁縷(はこべら)⇒繁縷(はこべ)
 仏の座(ほとけのざ)⇒小鬼田平子(こおにたびらこ)
 菘(すずな)⇒蕪(かぶ)
 蘿蔔(すずしろ)⇒大根(だいこん)

 覚え方は「せりなずな ごぎょうはこべらほとけのざ すずなすずしろ はるのななくさ」といいます。

 茶道では、茶事にご飯の代わりに七種粥を出すなどの趣向があったり、ご飯は普通に出して、七種汁などを出したりということもあったようです。

 今は七種粥を新暦で食べますがそれでは自然のものではないので、出来れば、旧暦の人日に食べたいものですね。

 相応しいお軸というとやはり御目出度いものや新しいというようなものでしょうか。「山呼萬歳声」「日出乾坤輝」などが正月を代表する掛軸でしょうか。ですが、私は人日には「無事是貴人」を押したいですね。人日だけに「人」つながりで♪。